休憩時間に携帯を眺めていたら、「読売巨人軍の現役監督が辞任」というニュースが飛び込んできました。

 

同じ娘を持つ親として、何とも複雑な気持ちで記事を読みました。

 

もちろん、詳細は当事者にしか分かりません。どこの家庭にも、大なり小なり衝突はあります。
昔なら「夫婦喧嘩」や「親子喧嘩」で済まされていたものが、今はモラハラ、心理的圧力、言葉の暴力など、判断軸そのものがかなり繊細になりました。

 

今回、個人的に興味深かったのは、娘さんがAIに相談していたという点でした。

私は以前から、AIは仕事の効率を劇的に高める一方で、人間の「考える力」や「迷う力」を少しずつ奪っていくのではないか、と書いてきました。

 

今回の件は、その延長線上にある話にも見えます。AIは基本的に、入力した人に寄り添います。かなり客観的な文章に見えても、実際には相談者の感情や前提に沿った返答を返してくる。

 

以前、私も試しに、同じテーマで立場を変えながらAIに相談したことがあります。するとAIは、見事なくらいこちらに合わせて意見を変える。

 

要するにAIは、「あなたにとって心地よい回答」を作るのが非常に上手なのです。

 

もちろん、それ自体は便利です。

 

これからAIは社会インフラになりますし、使わないという選択肢は現実的ではない。ただ、だからこそ教育が重要になる。

個人的には、小中学生、できれば高校生くらいまでは、AIは禁止で、どうしても使うなら「AIをどう使うか」を先に学ぶべきだと思っています。

 

答えを出す前に、自分で考える。
 

AIの回答を鵜呑みにしない。プロンプト次第で答えが変わることを理解する。その辺りまで含めて教育しないと、AIは“便利な先生”ではなく、“最強の思い込み増幅装置”にもなり得ます。

 

そういえば、つい先日シンガポールへ出張した時のことです。

 

観光地への行き方をAIで調べ、指定されたバス停を探していました。ところが、どう見ても降車案内がない。

 

近くにいた現地の人に、

「このバス停から◯◯番に乗れば行けるって聞いたんだけど、停留所表示がないんですよね」

 

と尋ねたところ、「それ反対側のバス停だよ。誰に聞いたの?」

 

と聞き返されました。なので私は、

 

「AIです。」

 

と答えました。

 

すると、ものすごくウケました。

 

便利すぎる存在というのは、時々、間違いを疑わなくなるのです。

 

スマホが普及した時もそうでしたが、AIはそれ以上の速度で社会に入り込んでいます。

小学生からタブレットを持ち、子どもがAIに相談する時代。だからこそ必要なのは、「使うな」という精神論ではなく、AIに答えを聞く前に、「自分の頭でも一回考える」という、意外と古典的な能力なのかもしれません。