最近、とみに耳にするのが「コンプラで人生が止まる」という話です。
これは芸能界だけのドラマではなく、普通の会社員の世界でも日常茶飯事になってきました。
いまや、社内にはあらゆる“◯◯ハラ”の定義が存在し、
一度申し立てが入れば、ほぼ自動的に「公式戦」が始まります。
しかも、勝率は、、控えめに言って、訴えられた側には驚くほど厳しい。
なぜか。
一般的な企業では、社長室よりも強いのが”コンプラ室”や“コンプラ委員会”という独立組織。
ここには内部や外部の弁護士がいて、過去のコンプライアンスの判例や社内規程に照らして粛々と判断を下します。
トップや力を持った役員が「あいつはいいやつだから」とかばう余地はありません。
しかも最近では、残念ながら“社内政治”で使われるケースもある。
長く働いていれば、誰だって過去の行いに一つや二つ「埃」くらいあるものです。
それが、意図せず槍玉に挙げられることもあるわけです。
いま世間を騒がせている国分さんも例外ではありません。
一部には、「業務委託だから、説明なしで切れる」
と語る専門家もいますが、実際にはそんな単純な話ではないはずです。
彼自身も、そして所属事務所も、日テレ側から一定の説明を受け、反論の機会を持っているはず。
一方で、コンプラ案件とは、当事者間で完結するもの、
であり、外部に説明される性質のものではありません。
つまり我々一般人は、
・事実を知ることもできない
・判断材料も手元にない
・被害者のプライバシーも守られるべき
だから、本来はテレビ局の対応を外から批判する立場にありません。
正直、私自身、彼の会見を全て見たわけではありません。
ただ、伝わってきたのは
「自分の声を取り戻したい」
という苦しい叫びだけです。
もちろん、道はたくさんある。
YouTubeでも、ブログでも、舞台でも、どこでだって発信はできる。(もちろん、コンプラ案件には触れてはだめ。)
世間の目が気になるなら、逆に堂々と姿を見せればいい。
もし本当に“自分は違う”と思うなら、なおさら静かに消える必要なんてない。
疑われただけで人生を畳む時代ではありません。
むしろ、疑われた後にどう立つかで、その人の“物語”が決まる。
誰だって、ある日突然「渦中の人」になり得ます。
だからこそ必要なのは、潔白の証明よりも正しい振る舞いを続ける胆力でしょうか。
信頼は、言葉でなく“行動の積み重ね”でしか作れない。
そしてそれは、どんな逆風の時代でも変わらない。
そんなことを、今回の件を通してあらためて考えさせられました。