大自然の中に本来実在している精神は、何と唯物的ではなく、深い精神性を放っていることであろうか。

 

 叡智界の美しさに目覚めるためには、ほんのささやかな投資でよいのである。万人にその道は開かれているのであって、地上の地位は何の関係もないのである。


 このような自己独自の叡智界を有していることが哲人の証であるが、これは、本来、万人が開拓可能な世界であるといえるのである。

 

 大自然を真に見た真人にとっては、そこに一大精神世界そのものが観えるのである。


 我々が自然と呼んでいるものも、実は精神的現象であって、心の顕われである。自然は、理念であり、実在であり、道である。

 

 エマソンやルソーが自然について瞑想しているのは、それは、実は叡智界そのものであろう。

 

 エマソンの論文を読めば、自然というものについて述べていても、結局の所、叡智界が述べられていることが分かる。

 

 叡智界こそが、大自然の本質であるのであり、人間精神の本質であるのである。


 我々人間は、叡智界の美しさに接していれば、永遠なるもの、神秘なるものへと精神が飛翔してゆく。

 

 そして、自らの内なる叡智界の創造性が活発となり、新たな叡智を観想し、創造してゆく時期、大自然の本質的生命と合一している自己を見出すのである。

 

 大宇宙の真理が、そこに象徴されているのである。

 

  (おわり)

 

 

 

 

 

 

  by 天川貴之

(JDR総合研究所・代表)