幼稚園から小学校卒業までは、よくある田舎の子供で特に問題は起きなかった。
両親はほとんど休みの日に出かけることもなく父親は今でいうDIYで古い家に板の間を作ったり農業をやっていたので田んぼに出かけていた。
母方のいとこと年に何回か祖父の実家で過ごしたりするくらいで、ジュース、シチュー、ラジコンテレビCMで見るもののほとんどが自分には関係のないものばかりだった。父親は普通のサラリーマンだったが、着るものや持ち物を同級生と比べると、何故かうちはどちらかというと貧乏だった。
ただ、周りのほとんどの家が貧乏だったので特に気にしたことはなかった。小学校でも特にいじめられたりすることもなく、尖ったところもなく、ごく普通の子供だった。しいて言えば、人前で何かをするのが苦手で、例えば音楽の時間に一人ずつみんなの前でスキップをする授業だったり、放送室で自分の作文を読んだりするのがものすごく苦手で、必ずと言っていいほど泣いていた。
逆上がり、跳び箱は卒業するまでできなかった。
ちらちらと、今思えば高度成長期だったので同級生の持ち物(筆箱、UNIの鉛筆など)が自分と違ってきた。フラッシャー付きの自転車を手に入れたのはずいぶん遅かった。
小学4年生の時、教育実習で来た女性の先生がなぜか気に入らず連絡帳でバトルを繰り広げた。呼び出されていろいろ言われている最中、「知らんがな」的な表情をしていたらしく、先生から「屁とも思ってないでしょ、私が言っていること」と言われた。今思えば「お前、なんか変」と生まれて初めて指摘してくれた人間だ。
記憶が前後しているかあいまいなのだが、母親から「そんな先生ふんっ!てしてやりな」と言われた。先生から困った連絡があったか呼び出されたからそういったのか、私の話を聞いて事前にそういったのかは明らかではない。
5年、6年生になると、ちょくちょく担任の悪口や今でいうフェイクニュースを手書きした学級新聞を教室に張り出して、みんながテレビ学習をして前を見ている間中、教室の後ろでビンタと罵声を担任から浴びせられた。
このころから、私の「変な人間」が年に数回くらいのペースで出現してくる。クラスの悪ガキが〇〇さんの机にパンを入れた、とか周りのみんなが空気を読んでやらないことを躊躇なくやっていた。不思議と仲間外れになることも、悪ガキから仕返しされることもなかった。
未だに「強いものには弱く、弱い者には強い」というクズのような根性は抜けていない(笑
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何をどうしつけされていたのか確信がないのだが、過保護、過干渉、過度の期待(勉強に関して)があったのだけは間違いない。いわゆる「親を喜ばせるよい子供」になっていた。
小学校生活で、バランスの取れた大人になっていく同級生が多数の中、学年が上がるごとに周りの成長から置いてきぼりのまま、小学校を卒業することになる。
