周りとずれ始めていたが気が付かなかった小学校生活。

 

「自分は正しい」

「悪いことをしてはダメ」

「思いやりを持ちなさい」

 

という絵にかいたような行動を、年齢が上がるにつれ無意識にしろ、故意にしろやらなければ生きていけないことが一つや二つ子供ながらに出てくるはずだが、気づかなかったのか、あえて周りが(あきらめて)そういう雰囲気にしなかったのか、その手のことで悩むことは皆無で、何にも根拠もない自信と「よい子」でいることに何の疑問を持たずに中学生になってしまった。

 

今思えば、危険極まりない。

 

中学校では、いろんな小学校からこれまでとは違った人種が集まり、自分がどれだけ頑張っても勝てない秀才、自分が一番ではなく人気のある人間が山のように居た。

 

それでも、部活に精一杯のめり込み結果を出せず「普通以下の人間」のポジションになっていた。勉強ができなくても背が高くてかっこいい人間がえらい時期が高校受験の前まで続く。

 

見ることを封印しているこのころの写真には、楽しいのか、楽しくないのか、何を考えているのかわからない表情をした自分が映っている。

 

父親の収入も上がってきたようで、ソファーや自動車、ステレオや8ミリカメラなど、楽しいと思えるものがどんどん出現してきた。

 

家族旅行にも出かけるようになったが、はしゃいだり思いっきり笑ったりしている写真は1枚もない。(いまだにその類の写真はない)

 

中学校2年生の時、父親が亡くなった同じクラスの女の子の家に代表で葬式に参列した。泣いていたその子を見ていたたまれなくなり、付き合うことになった。

 

なにしろ、何も悪いことや面白いことをした経験がないから話題もない。面白味もない。彼女との交際は高校2年まで続くのだが、何を話していたのか、想像できる分恐ろしい。

 

部活でも、成績でも、女子からの人気でもダントツなR君という存在がウっとおしかったが、頑張ろうとか、ぬかしてやろうとか、そういう気持ちは全くわいてこなかった。

 

あまりの能面ぶりに親も心配になったのか、フォークギターを買ってくれることになった。ちょうど、かぐや姫が人気で、さだまさしの「雨やどり」なんかが流行っていたころだ。

 

洋服もその他のものも、決して自分から「これが欲しい」「あれに行きたい」ということがなかったので、それからしばらくギターに熱中した。

 

特に親しい友人もおらず、自分の世界だけから得た話をするだけの中学生なんかつまらない何物でもない。ギターを文化祭で演奏したこと以外、特に楽しかった思い出は何もない。

 

「自分は変だ」に、まだ気づかない、今思えば中学校のこの時期が最後のチャンスだった。

しかし年相応に進化するタイミングはとうに過ぎてしまっていた。

 

それから玉成しないまま社会にでたもんだから、大変なことが自分を起点に起こっていく人生に突入する準備がそろそろ始まっていく。

 

中学3年生。

 

高校受験だ、普通科と国立高専の2校を受験した。当時国立高専は狭き門で、約8倍の難関だった。毎日遅くまで受験勉強をして、難関の高専に受かったので迷わずそちらに進路を決めた。

 

世間知らずで、世の中の仕組みを当然知らず、挫折もしたことのない半熟の人間は、普通高校に行って時間稼ぎを(気づくまでの時間稼ぎ)すべきだったのだが、ここが大きな人生の転換期となる。

 

当時の私は、「8倍の倍率を突破したエリート集団」というイメージしか持てず、悪いことに両親も一緒になって「そういう」感じで春休みを過ごした。

 

国立のため学費がかなり安かったので、合格祝いだとエレキギターを買ってもらった。

 

私は、前途ある未来を描いていた。

 

テレビのドラマで見たことしかない世間知らずが、自分の将来をなんとなく思い描いていたのだから手の打ちようがない。

 

不思議と、私に対して悪い評価はなく、学校の先生からは期待してもらっていた。

 

そのスキルだけはいまだに健在で、転職の面接ではかなりの確率で高評価をもらえる。

(その後の実績は別としても…)

 

夢心地の春休みを過ごして、エリート集団(あくまでも自分の価値観(笑))の一員になることを想像していた。

 

凧の糸はまだ完全につながっていたが、そのしっかりとした糸が、いとも簡単に切れてしまうとは誰一人思っていなかった。