先週のZOOMお城会「諸説あり」テーマは「館」
ボクはリアルなお城の会からハブられている為このZOOMお城会ではできるだけ喋らせて頂こうと思っています。
で、最近は用語の定義などを話させていただくことが多く、今回もその線でと思って以前別の会で読み合わせしたお話をしました。
ん?何か「館」の定義とは離れてますね。
まあ言いたかったのは鎌倉時代後期くらいまでは堀も土塁もない武士の居館が、臨戦態勢になることで「城郭を構える」となるということ。
堀や土塁を常備した所謂「方形居館」が常となるのは室町以降だということ。
上画像のような堀と土塁に囲まれた「武士の居館」は鎌倉時代にはほとんどなかった
「館」が防備に劣り、軍事に特化した山城とセットになったという話も通説です。
しかしこれも西股先生が下記書籍で書かれています。
例として、大和国の十市城と龍王山城を挙げました。以前は十市城が平時の居館で龍王山城が詰の城…みたいに言われていましたが、この二つはセットではなくお互い独立した城郭であると考えるほうが自然なように思います
また旧守護大名から戦国大名になった家では「館」を居城とした例が多いこと、それとセットになっていると思われる山城も上記と同じで、別の城或いは利用された時代が違う可能性が高いと考えます。
山城の麓の根小屋に関しては山城の一部という理解です。
一乗谷朝倉氏遺跡の話も出ましたが、ボクは一条山城は朝倉館の外郭土塁であるように思えてなりません。
ほか様々なご意見を頂きました。
現在、通常「館」といわれている遺構は堀や土塁を備えたものである限り「城」と遜色ない防御施設であった。
そう考えています。