丹波・三尾城です。
当日も書きましたが、多紀郡(現・篠山市)と 氷上郡(現・丹波市)の境の要衝を占めています。
南の佐仲ダムにクルマを停めて、たぶん古代山陰道を西へ、佐仲峠(標高440m)から更に北に登り、まさかの標高586mが主郭Ⅰです。結構しんどい。北から登ったら死ぬんちゃうか。
Ⅰを最高所とした南郭群(三尾山雄岳)、北郭群(雌岳)との鞍部Ⅹから上がってくる登山道はまず破壊道でしょう。もとはⅡ北西~Ⅴ北東~Ⅶ・Ⅷ・Ⅸの西を通っていたと推測します。
Ⅷは破壊道や倒木でよくわかりませんが土塁囲みにみえますし、Ⅲの南の土塁(石塁か)とともに主要部の境となる施設と考えることもできます。
Ⅲの入り口も現状の東ではなく西から入ったのかもしれませんね。
α~εまでの雌岳は、中腹部に緩い斜面がある割に、α・β~ε西にかけての登土塁が見事です。
このような施設は丹波八木城・山城静原城南城・鐘ヶ坂金山城にもあり、共通の築城主体による利用が考えられます。
明智(惟任)…でしょうか。
赤井氏から荻野氏に養子に行った悪右衛門直政の弟・新八郎幸家の築城といわれ、のちに明智氏も利用したというのが定説のようです。