毎週恒例 お城ZOOM会 “諸説あり” 今回のテーマは 『水と城』
豊後・豊前の大名城郭 (江戸時代にお殿様がいた城) は、水城が多いということをお話いたしました。
中津城は俗に 『三大水城』 だし(これについては僕はおおいに意を異にしちょりますが)。
髙田城も河口の海岸段丘やし、織豊までの存続ながら富来、安岐も港を抱えちょります。
日出(暘谷)城、木付(杵築)城
豊後府内(荷揚)城
左が現在の傾斜量図(国土地理院) 右が江戸期の推定
臼杵城 左が現在 右が江戸期
海に面していないながらも日ノ隈城も水城といっていいであろう。
岡城も二つの川に挟まれているので…なんていいだすとこじつけのレベルであろうか…。
おもうに、これは二豊地区が九州の東縁であり、瀬戸内の海運を意識して城や城下町を造ったからであろう。
犬飼(大野郡)出身の若杉公徳氏の 『デトロイド・メタル・シティ』 における根岸母のが 「地獄から来た!」 とのたまう我が息子クラウザーさんに、「四国から来たんかえ~」 と返すセリフはただの聞き間違いの笑いだけでなく、こういった歴史上の四国・瀬戸内への繋がりが根底にあるのではないかと考える。
でも最強の水の城は、小倉城だと思うの (ふふ福岡県!)