一解答於城伝承 | 根多帖別冊 by おしろまん

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おしろまん です。
絵を描いていますので、そちらをメインにしたいのですが、お城の論考を書いたりしており、城関係がやたらと多いブログとなっています。
ブログ内容に即した、皆様の素敵なコメント募集中でございます~

以前こんな記事を書いた

 同じような話が全国に伝わっていることに疑問を抱いたのはぼくだけではなかった。

 

 その一人、高木敏雄氏が大正2年に「城址伝説及び長者伝説」を採録している。

 また偉大な民俗学者である柳田国男氏は、戦国期の山城に精米した (水に見える) 白米が貯蔵されているのか等矛盾点を見出し調査し、大正5年「白米城の話」を発表した。

 

 それらを紹介した、こんな本が出ていることをおききした。兵庫県赤穂郡上郡町の0先生より。

「白米城伝説」『歴史読本特別増刊・辞典シリーズ第16号』 1992 新人物往来社

 

 それによると、これらの話は

 なにかムラに不思議なこと(有力者の病気とか旱魃)があると、その原因や対処を旅の宗教者に訊ねたこと。

 その際、その宗教者は自らの教団に伝わる伝承 (白米伝説、水の手の曝露、竹の皮を敷き詰めた等) を土地の城址 (実地検分などしたのであろうか) や伝わる軍記などを織り交ぜてさも見てきたようにかったったのではないか。

 

たとえばこうだ。

 江戸時代後期、フネヒラ村に旱魃 (ムラオサの子が病気 とかでもいいだろう) がおきた。

隣村あるいは隣国とかでもあるかもしれない、に霊験灼かなお坊さんいるという評判を聞き、わざわざ来てもらう。 ここが偶々通りがかった僧とかだと俄然八百長っぽくなる。

 僧曰く 「この村の裏山にある野乃台城が薩摩軍に攻められたとき、水が尽きてしまい白米で水が潤沢であると偽装した。ところがムラの老婆がそのことをバラし、そのため城は陥ちた。城跡から出てきた焼けた米がその証拠。今回のことはその祟りであろう。祈祷 (雨乞い) するゆえ祈祷料を・・・」

 

全国に同じような伝承が伝わる理由がこれで説明がつく。P1000052~001.jpg

ちなみにフネヒラ村の野乃台城にはそんな話はありませんのであしからず。