選手全員投手論 | 根多帖別冊 by おしろまん

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おしろまん です。
絵を描いていますので、そちらをメインにしたいのですが、お城の論考を書いたりしており、城関係がやたらと多いブログとなっています。
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『Mejor』 の本田 (茂野) 吾郎 の例を見るまでもなく

才能のある選手が過酷な試合日程により故障し、選手生命を短くしたりなくしたりすることがあるようだ。

投手としての才能に目覚めた子は、楽しくってつい投げ過ぎるだろうし、結果を出せば指導者もその子ばかりに投げさせるだろう。

昨今は投球回数制限や登板間隔制限をするが、それでも幼いころから投げている選手の故障は多いときく。

今朝、道上さんのラジオで上記に関しておもしろいことを話しておられた。曰く、

チーム全員に投手をやらせて、イニングごとに投手を変えているチームがある
ということを。そんなチーム弱いだろう、とおもったがどうも世界大会で準優勝したという。

検索しても出てこないから確認しようがないが、ぼくはこれをとてもいいことだと感じた。

野球という競技は、走・攻・守 という全く別の要素のものをやる。現在はそれを指導者が一方的に決めているのではないか。よくわからんが入る時点ではじかれた僕としてはそう思わざるを得ない。

その中に、『投手』 という種目をすべての選手にやらせるということは隠れた適性を見るうえでいいことだし、『投手』 を演ることは守備・打撃両面でいい影響を与える筈である。

よく考えたら打つことに適性のあるものもどこか守るし、守備だけが得意なものも9人のうち一回は打席に入らなくてはいけない。

9人で1回づつを担当する。一つのチームだけがこれをやると、戦力に不均衡が生まれるだろうから少年野球くらいまではこれをルールで決めればどうかと思う。

投手やその他のポジションをやりたいと思う子はもっと上のレヴェルでやればよく、ぼく個人的には高校野球くらいまでは一回一投手でやればどうだろう。高校野球が教育の一環であるならば。

少なくともDHやタイブレーク制よりはよほどBASEBALLの本質を理解できると感じる。


ぼく自身投手の適性があるというのはおこがましいが、運動神経がいいとは言えなかったぼくが草野球の大会で主戦投手として投げることができたし、投げることを楽しいと思えたのはチームのみんなの理解があったからである。

選手皆投手 ということをやればいろんな子たちに可能性を与えることができるのではないか。