利神城等調査報告会概要 | 根多帖別冊 by おしろまん

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13日の土曜日に行われた、利神城跡等調査報告会

利神城を山城ベスト1に推すぼくとしては参加するつもりだったのですが、そのうえ当日の報告者のひとりが尊敬するY先生ということで楽しみでした。

で、現地に着いてみると学校の教室程のお部屋に百ほどの席が。開演10分前になって

「まだ室外に40人位が待っているので会場を大ホールに変更します。」 とのこと。

結局二百人近くの人が集まったとか。お城ブームってこんなにもすごいのですね。

まあそれくらいはいいのですよ、時間通りに始まったし…。しかし寒い!暖房が入っていないらしい。

当日の佐用町は気温12℃、まだ温かい方でしたがこれが通常通りの気温だったらと思うとぞっとします。

ぼくら聴講者はまだいいとして、報告者は途中抜け出すわけにもいかずお疲れのご様子でした。

さてこの報告会は、利神城跡を国指定史跡にするための試み=佐用町が予算1900万円を使って調査や史跡整備をした結果を報告し、この利神城という史跡がどれだけ貴重なものであるかを報告するためのものです。



遺構面では、山上に遺る石垣の素晴らしさもさることながら山下の『御殿屋敷』、また城下町なども含めて総合的に、只今話題の但馬竹田城に勝るとも劣らないものであるということを言われていました。

文献では、山城である利神城の存在を語る同時代史料はこれまで確認されていなかったものの、「りかん」 という仮名検索すると何点か出てきて、それにより永禄九年には「りかん」に山城があったと思われるという報告がありました。

質疑応答においてはぼくも疑問にもっていた、「なぜ利神(山城)と平福(城下)で名前が違うのか」 ということ。これについて、ひょっとすると慶長期には山城の呼び名も『平福』であった可能性があるといわれておりました。

また、利神城の立ち入り制限について、安全が確実に確保されるまで解くことはできないということでした。
一部で近々立ち入りできるという情報があるようで、これについて更なる自重を促されていました。