指月城縄張考察 | 根多帖別冊 by おしろまん

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絵を描いていますので、そちらをメインにしたいのですが、お城の論考を書いたりしており、城関係がやたらと多いブログとなっています。
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さて、伏見指月城の現地説明会に行った日に、ぼくも周辺地形を確認しました。

現説現場は、指月城のいわゆる主郭部分から西に降りたところと思われます。最高所からは高さ5mほど降りているのではないでしょうか。

つまり、上 (主郭部分) を掘ら (調査し) なければこの検出遺構の位置付けは曖昧になるのではないかと思われます。

主郭と思われる北東端は丘陵続きになる場所ですが、東は 『船入り』 といわれる幅百mの掘削地形により高さ20mの崖となり、北東コーナーから北辺を西に向けて徐々に登り坂になります。

JR桃山駅の南付近でその坂は最高所になりますが、それでも主郭部から現状2~3mは落ちています。

『中世城郭研究』25号の「伏見・指月城の調査」(山本雅和) では、このあたりが発掘され、指月城北側の堀は幅20mはあったのではないかと推定しておられます。

で、コメント欄にお書き頂いた 『秀吉の城』(世界文化社) 伏見城 の項に載っていた指月城の推定復元図がこちら

Image134.jpg

概ね周辺地形と合致していると思います。よくできているのではないでしょうか。

ただ、主郭北にある 『北二の丸』 これの存在には疑問です。

この北はのちに木幡山城が築かれる丘が迫っており、主郭との間は低地で、現在JR京都線の線路は土盛りされ、『船入り』 部分で橋桁が架けられています。

曲輪のあった高地 (とは限らんが) を一旦低く掘り下げ、しかる後に鉄道敷設のために高架化するなんてことはないと思います。したがってこの 『北二の丸』 は無かったと感じました。

上記『十世城郭研究』25号や、同19号の論考にも 『北二の丸』 の記載はありませんでした。