当日記事は ⇒こちら。リンクにも書いたように、もう一度行きたいです。
次はココだけでなく、南の安宅勝山にも行かなければ… 行っていない城は描かない主義なので、遠望だけです。
高い土塁で囲まれた主郭以下、深い堀切で画された曲輪群、斜面の曲輪が帯曲輪+土塁なのか横堀なのかは議論が分かれると思います。
とても中世の城とは思えない規格化された感がものごっつ素敵でした。
そしてその土塁には内側に石積の遺構が。それに加えて横矢や技巧的虎口がないことが年代を感じました。
比高は70m位なのですが急峻です。鳥瞰図だとほぼ真上から観ているので伝わりませんが・・・。
ここはもう一度来て、縄張図摂んなきゃですね。
手元に白石さんと角田さん、二葉の縄張図がありますが、ちょっとずつ評価が違っています。
解明せねば…。
ちなみに安宅氏は承久の乱の後 紀伊守護となった小笠原長清を祖とし、九代頼春のときここに移り安宅氏を称したといいます。
本城は平地に築かれた館造り(上図は推定)でありましたが、里を囲む山や丘にはこれ以外にも多数の城があり、さながら城塞都市を思わせる…
という 小学館探訪シリーズ城 近畿の城 の情報を覚えていたのですが、実際通ったのに気付かなかったのは当日記事のとおりです。
もひとつおまけに我らが城郭談話会の事務局であらせられますH氏はこちらのご出身ということです。