徴兵疑惑 | 根多帖別冊 by おしろまん

根多帖別冊 by おしろまん

おしろまん です。
絵を描いていますので、そちらをメインにしたいのですが、お城の論考を書いたりしており、城関係がやたらと多いブログとなっています。
ブログ内容に即した、皆様の素敵なコメント募集中でございます~

 もうひとつ、黒田如水の行動に関する不自然さがあります。

 慶長五年、徳川内府と奉行衆の確執の折、如水は隠居でもあるので、家中の兵の大半を当主である甲斐守に預けて上方に送り出していた。

 しかし、動乱が九州に及ぶにあたり、蓄えた金銀を惜しむことなく募兵に使い、またたくまに九千人の軍を編成した。

 まあ、経済的思考に長けた如水ならあり得ることでしょう。

 しかし、指揮する将領級が居なければ烏合の衆であったかもしれません。

 だがこのとき、中津の如水の手元には、

 井上周防 栗山備後 母里但馬 (以上こののち筑前で六端城城主・万石以上) 時枝平太夫ほか久野、曽我部、野村といった連中が名を連ねています。

 つまり、上杉攻めに行った甲斐守=黒田家主力 に匹敵しているのではないか。

 大坂方の人質にならないよう奥方を連れ帰った母里太兵衛 (これも事後、甲斐守のところに合流することができたはず) はともかく、このほかに豊後に出陣しなかった中津留守部隊もいたことを考えれば、重厚過ぎる面子ではないでしょうか。

 最近は、如水の慶長五年の 『九州切り取り』 は、計画的なものではなく行き当たりばったりだった…というように考える方がいらっしゃるようですが

 如水はハナから、この慶長五年の風雲に乗じた天下取り、或いはそれに準ずる壮大な意思があったのではないかと考えますね。