遁走 | 根多帖別冊 by おしろまん

根多帖別冊 by おしろまん

おしろまん です。
絵を描いていますので、そちらをメインにしたいのですが、お城の論考を書いたりしており、城関係がやたらと多いブログとなっています。
ブログ内容に即した、皆様の素敵なコメント募集中でございます~

以下、インド語の陳さんこと 陳大人 (舜臣先生) の受け売りである。


司馬懿仲達は、度々進攻してくる蜀の諸葛亮孔明の軍をその都度撃退してきた。


蜀軍は兵少なく、兵糧も少ない。 各城市を堅く守っていれば時間が来ればかれらは手も足も出ずに蜀へと帰る。 或いはかれが遠征上の蜀軍を破って勢いに乗じて益州へとなだれ込むことも可能であった。


が、かれは敢えてそれをしなかった。 かれにとって怖いのは蜀軍でもその指揮者である諸葛亮孔明でもない。


自らが属する魏の皇帝の取り巻きである。


かれが大功を立てればそれだけ身内である魏国宮廷に警戒され、自らの知恵の及ばぬ宮中の讒言によって陥れられることが大いにありえた。

 (現に、こののち蜀に攻め入ってそれを滅ぼした鄧艾・鍾会が非業に死んだことを思えばよい。)

かれがいかに才覚があろうとも皇族・曹一族が結束すればすぐに殺されてしまうであろう。 むしろ

才があればあるほどそうであるといえる。


そうならないためには自分を小さく見せることが肝心だ。


丞相の死で撤退する蜀軍の動きを細作の報告 (決して占星術ではない) で知ったかれは早速追撃戦を仕掛ける。案の定、蜀軍は孔明の木像を押し出してきた。


孔明は生きている!やつの策にまんまと引っかかった!押し包まれて討たれるぞ! と慌てて全軍に退却を命じた。


ひとびとは死してまで仲達を奔らせた孔明を称え、死人の軍略に怯えた仲達を臆病と笑ったという。


そしてその噂を喜んで信じ、触れ回った宮廷の連中を機を見て粛清して、司馬一族は魏の実権を握ったという。


「死せる孔明、生ける仲達を奔らす」


そう噂を流したのは、ほかならぬ司馬懿仲達であった。