ずっと、書こうと思っていた。
姫路市飾磨の 英賀 (あが) 城
アメブロには城好きは多いが、この城のレポを挙げている方は・・・ぼくが知る限り皆無である。
近世・織豊城郭ではない。
中世における播磨三大城郭であるとされる。 (この三つに 置塩城 が入っていないのは不思議だが)
織田勢播磨侵攻に抗い落城したのは三つの城に共通する。
そんな郷土史的に重要 (?) な史跡でありながら、 「ひょうごの城紀行」 にすら掲載がない。
一向宗絡みと考えられているため、なんかタブー視されているからなのかもしれない。
平城で、近世大名の居城にならなかったため遺構がほぼ残っていない。
ただ、本気で探してみると、主郭には巨大な城址碑がある。(碑 しかないという言い方も出来るが)
そこから100mほど北には、外郭の門である 「井之上門」 跡という解説看板と土塁が残っているし、土塁の外には水濠の跡であろう水路、それは延々西へ続いており、碑から1kmの英賀神社には高さ3mほどの土塁が100mにわたって現存する。
城全体の規模は面積だけなら姫路城の内堀以内をはるかに凌駕する。
そしてその土塁 (神社) の北は 「矢倉公園」 である。いかにもそこに城があったという感じの名前
そこには、ヘンなものが・・・。
「模擬石垣」・・・これが原因か・・・「ひょうごの城紀行」 に載っていないのは。
折角立派な土塁が残っているのに、ここにこれを築いておく必要性はあるのだろうか・・・。
ちなみに今では『英賀城』とは呼ばず、たんに『英賀』『英賀寺内』と呼ばれているようだ。
今日はこれまで。