9月2日は金曜日。週末には台風が来るとの予報で流れる雲は一部黒ずんで、ぶ厚く速い。気温は夏がほとんど終わっていることを予感させ、ちょっと湿っぽい。


高田馬場を南から北に歩いて、「10度カフェ」にはいる。


のっぽのウェイターは若くてハンサム。(帰りにドアを開けてくれた!)


サンドイッチをチキンのオプション(サーモンもある!)で注文し・・・


過去にトリップする。(小説は短編ばかりだから!)


あれは私がまだ20代の頃、Y證券の資金部で為替のバックオフィスに勤務していたときのことだ。当時の為替ディーラーたちは雑誌で「マーケットの小鬼」などと紹介されバイヤーサイドでもあるから華やかだった。


色の着いたストライプのワイシャツに、カッコいいネクタイ。映画の「ウォール街」に出てくるように釣ズボンをはいていてもおかしくはない感じだった。


丁度バブル絶頂期のころだ。(100億円単位で為替メモは流れてくる。)


大手證券においてフロントとバックの位置付けは厳格なものでバックもバックでプライドを持って頑張るのであるが、フロントが食わせているというイメージは不文律であった。


(ホントは営業マンなんだけどね!)


「ディーラーになれたら外資系の銀行の接待を夜な夜な受けて、一日24時間ロイターを持ち歩いてTVゲームよろしく相場を張るのが仕事。」


(悪く言えばそういうことだった。)


私もディーラーになりたいと思っていた。


一年先輩のある為替ディーラーは、目のある人だった。


「宮川君。君がもし自分の力で相場を張ったり賭け事をして生活していけるのなら会社になんか来る必要はないんだよ。(つまり・・ディーラーというのは表向きにはいえないけど実は見た目とは違う仕事なんだ。)」


(いきなり言われたこの言葉を聞いてギクッとしたところがなければ、その人は余程わかった人か、さもなくば単純にバカであろう・・。)


ディーラーとバックオフィスの間にははっきりとした垣根のようなものがあり、普段交流することはない。


今日の話の中心は外資系の銀行から中途入社してこられたN課長代理である。


Nさんは背がすらっと高く優男。都会風に洗練されていて、ディーラー仲間には「Nっぴー」と呼ばれている。が、しかし・・スキのない感じである。


(この人のように仕事が出来ればな・・。何の悩みもないかもな・・。
 まわりからのプレッシャーなんてあるんだろうか?)


(つづく)



「キーマカレーとセットのホットコーヒー。後で。」


朝11時の「10度カフェー」。ウェイトレスはにこやかに復唱した。


「少々お待ちください。」小さな声は柔らかい。


ルースリーフを取り出して0.38の青いボールペンを持つ。


小説を書いてみようと思ったら汗が出てきた。


ハンカチは持っていない。


「思えば16年前会社を辞めたときは1回だけ号泣した。気功治療で泣いたことは10回はある。競馬でも府中で1回号泣したな・・。」


でもボールペンを握って汗がだくだくでてきたのは初めてだ。


(私にとって汗も涙も同じものである。)


「ふっ。山ほど勉強してきたはずの私が・・。」



キーマカレーは野菜が上手に使われていて、ひき肉の素材性が引き立てられている。半熟卵が上品でとても大きい。


食べるは一瞬。


「しかしカレーといっても、これはカレーというジャンルには拘らなかったんだろうな。」


1年位前だったろうか。ここの学生店長さんに名刺を渡されたときに言われたことを思い出した。


「色々とこだわりがありまして。」


そのときはセールストークだろうと思った。


(学業との両立は大変。「・・というより不可能。」かれは言っていた。)


「何かが足りないんだろうな。」


有線放送はロック調。


(もっと感覚的なジャズとかにしてよ!)心の中で叫ぶ。


「このズレ感がたまらない。」


(おじさんは余計なことは言わないから!)


しかし、いま・・・私が目指しているのは、豊かさの海。


頭の中で海のトリトンの主題歌が聴こえてくる・・。


「水平線の終わりには何があるというのだろう。」


ホットコーヒーは出されたときにはカップが熱くて触れない。ブルマン調で酸味は抑えられている。


スプーンで黒砂糖を溶かしながら私は一大決心をした。


「馬っ気を徹底的に抑えよう。」


絵で言えば池田満寿夫さんや横尾忠則さんの反対を求めるんだろうな。それはピカソの対逆でもある・・。つまり、


地球は単純に丸くて汚れを含んでいる。


ということだ。(つづく)





主訴 : (神経ブロック注射もはじかれてしまう)腰痛の激痛で思考能力が働かなくなっている。

      心や体を緩めて気を集めるなんて到底無理である。


「私のイメージでは親知らずが虫歯になって、痛くて思考回路さえ奪われた状態が20年以上続いている感じでしょうね。」


「さあ、私は虫歯になったことがないものでわかりませんが、職場から自分の敷きっ放しの煎餅布団のところに帰ってもその瞬間に激痛が待っている。心が休まることがない。痛くて夜も眠れません。」


「気に関してからだ自体が干からびてしまってますからね。呼吸は深くなっていますか?」


「はい。呼吸は深くなってます。」


「痛みに耐えながら、心を緩めからだを緩めることでしょうね・・。」


「いや。それは無理ですよ。どうやったらできるんですか?」


「まず痛みの意味を問うことでしょうね。あなたの痛みには意味がある・・。」


「・・・・・。」


・・・・・・・・・・・・


「痛み」について、ああ失敗した・ああすれば良かったとか情けないイメージとかそういうものしかないものであろうか?


わたしのアングルからは答は見つからない。


見つかろうはずがない。


痛みの意味に対して答えを与え給う存在。


それは私の目に見えないところに存在する。


それはエネルギーではない。


(あくまで無神論的に・・!)