当時の資金部長は進取の気性に富んだ人で、何が何でも部全体で旅行に行こうと発案し蓼科高原への一泊二日のバスツアーが企画された。資金部全体で60名近く、世話役に選出された人たちは半年も前から準備にかかる。一日目の夜は全体での宴会、二日目はテニスとミニゴルフの大会で二手に分かれる。バスは2台に分乗し万が一の事故にも備える。


「無礼講と言っても無礼講じゃないんだよ。」


営業店から本社に転勤となったある先輩は教えてくれた。

しかしバスに乗るや否やビールをあおり、「あぶない」と後輩に揶揄される私には理解不能な言葉でもあった。


競馬の世界で言えば「心火」が入った状態であろうか?

(しばしば失速原因ともなるのである。)


旅館に到着し荷物を部屋に置くと人がいなくなったのを見計らって仲居さんに心付けとして2000円を渡した。自分の年齢に不相応かとも思ったが、そうするものだと何かで読んでいたのだった・・。


仲居さんは最初は少し戸惑ったが、堂々と受け取った。


その後みんなを追いかけるようにして浴衣とバスタオルを持って風呂場に急ぐ。脱衣所に入ったときは誰もいなかった。


私は右足が義足なので風呂に入るのは恥ずかしい。(少し誉れ高い気分になることもあるのは事実だ。)


籠の中へ脱いだ衣類・浴衣・義足・その奥へ見えないようにバスタオルを隠した。


「まさか、よりによって義足の私のバスタオルを盗むやつなんているはずないだろうな・・。」


そう思いながらピョンピョンとしかし滑らないように片足で跳んでお風呂に入った。


勤め人としての義務を果たそうとする心とプライベートな心の混ざったある意味中途半端な不思議な時間だ。


同僚は片足であることに対して触れるはずもない。


おちんちんの貫禄を褒められたりして、最後は一人になって上がると私のバスタオルは盗まれていた。


本当に困って、しかし閃いて、浴衣をバスタオルの代わりに使って体を拭いた。


浴衣はずぶ濡れとなった・・。


元の服を着て部屋へと急いだ。


途中の大人数乗れるエレベーターで、ばったりと青い浴衣を来たNさんと一緒になり、二人きりとなった。


動揺していた私は、Nさんに強めの口調で言ってしまった・・。


「Nさん。ひどいですね。私バスタオル盗まれてしまいました!」


Nさんは無関心風に言った。


「それでそのバスタオル私が盗んだの?」


「いえ、そういう意味ではありません。」


「なんだ君は!まるで私が盗んだかのような言い方をして。」


Nさんは顔を真っ赤にして怒ったのであった。


「すみません。間違えました。」


私は深々と頭を下げながら謝った・・。


(この事は私の心の中では大事件で、一生理解不能なものとして残るだろうと思っていた。


・・・しかし最近わかるような気がするのである。つまりその後うまくいってなかったのだろう。


因縁論的に言ってしまうと、うまくいこうはずがない・・。)


すぐに宴会は始まる。浴衣さえ調達すれば何とかなる。


(まさか私服で参加するわけにもいかないのである。)


部屋に着いたらすぐに旅館の本部に電話した。向こうは戸惑い、逆に怒られた。


事務屋の私は閃き、色違い等別の浴衣でもいい・どこへでもこちらから取りに行く・場合によっては料金を払うという条件をつけた。


取りに来てくれという場所まで行ってみると元の青に対して黄色の浴衣であった。



それを着て堂々と宴会に参加した。


宴会は用意周到な悪く言えば飼い馴らされたようなゲームで始まった・・。


ビールの銘柄あて・目隠しビンころがし・歌の尻取り・・・万策尽きて「何か芸のある人!」一般公募となった。


少し間をおいて、私は手を高く挙げた。


前に出て、椅子の上にドスンドスンと後ろ向きに座る。椅子を手で引っ張る仕草をパントマイムでして、乙女が祈るように、「資金部で一番心の清純な人!」。


どこからともなく笑いが起こった。


「それは男の人ですか?女の人ですか?」


司会者がすかさず突っ込みを入れる。


「私が女なら男の人だけど、今日の私は男だから女の人!考えてみたら資金部ってたくさん女の人いますもんね。」


拍手の渦が沸き起こる。


少し間を取って、「そうだKさん。Kさん出てきてください!」


そそくさと出てきたKさんに「わかってますねー。」と右手の人差し指でぐいぐいと合図を送った。


3,2,1、・・。と掛け声とともに後ろ向きに座ろうとする。Kさんは期待を裏切らなかった。


そのまま尻もちを突き、宴会場は大爆笑に包まれた。


(おしまい)









外国為替のバックオフィスの業務も色々とあり、外決係、ファンディング係、金先係とそれぞれが難解で、外からは触れぬ様子である。


その中で「記帳」というのが当時の私の担当であった。仕事の内容といえば、10名ほどいる為替ディーラーの商いを、かれらはメモにして起こしているので、片っ端から帳簿につけていくことであった。


何が大変かといえばディーリングルームで入力された数字と帳簿につけた数字で食い違いが起こる。それを朝9時半のオーバーナイトの貸借までにきっちりと合わせないといけないのであった。


メモはぎりぎりの時間まで流れてくる。胃がキリキリと痛み出し痛みは背中の側へと回った。病院に駆け込むと十二指腸炎との診断。ファンディング係の先輩がここではみんなそうなるんだといって胃薬を投げてくれた。3日飲み続けるとすっきりと治った。


営業マンやディーラーの場合は、マイナスもあればプラスもある。しかし事務屋はこなして当たり前、マイナスしかない。だから入社した頃は事務はサバイバルゲームだと叩き込まれた。チョンボをしては生き残れない。


しかも最悪なのは内部の人間関係で、古くからいる人が権威を張り、チョンボが起こったときは新参者に濡れ衣を着せるというのがまかり通っていた。(それによって権威ある人の権威はさらに増す。)


仕事を個人に従属させていく体質の企業は倒産しやすい。


「宮川君。オーバーナイトはバンカメじゃないとだめなの?レート悪いから出来れば別の銀行で取りたいんだけど・・。」


牛乳瓶の底のような眼鏡をしたオタッキーなディーラーが訊いてきた。。


第一感としては、「私はわからないし、私は答えるべき立場にない」ということであるが、そう単純に答えるわけにもいかないのである。やすやすと他人に尋ねるのも問題がある。


「私の守護霊は、システム上は他銀行でとって振替メモを起こせばオーケーですが、会社が潰れそうになったときバンカメが救済してくれたという過去があって政策上の判断があると言ってます・・。」


そう私は答えた。(そのとおりであった・・。)


「ふーん。君に守護霊なんているの?」


・・事務に霊感は不可欠なものである。



ある月曜の昼休憩。直属の上司も少し寛いだ様子であった。


「宮川君。きのう結婚式だったんだってね。」


「・・・・・。」


「ほら。君知らないの?君が公私ともお世話になってる・・あの人だよ!」


私は急いで頭の中を検索したが思い当たる節がない。


(えっ。まさか・・・。)


昨日はNさんの結婚式であった。


渋谷へのランデブーから3ヶ月が過ぎていた。


あたまの中で何かがぐるぐると回っている。



Nさんは満面の笑みで近づいて来た。


私は笑みでなければならないが、満面の笑みではだめだと思った・・。


「ご結婚おめでとうございます。」


Nさんは力強く私の肩を揉んでくれた。


(結婚した状態というものは、そこまで人を魅了するものなんだろうか・・?)


私は頭の中で考えた。


(つづく)

















Nさんとは一度も話をしたことはなかった。


そのNさんから唐突にこんど一緒に遊びに行かないかという話が来た。


自分の構えを崩さずに初回の会話で友達感覚を出せる人だった。


「いいですよ。」私は即断し、日取りは決まったが、行き先は明らかではない。


2日後、早めに仕事を終わらせ、ランデブーとあいなった。


「渋谷にけっこう大きめのプラモデル屋があってね。」


勤め先の茅場町から渋谷までは少し遠い。


電車の中でゆっくりした時間が流れた。


「首相の海部って確か雄弁会だよな。ワセダの雄弁会って一体何者なんだ?」


ありあわせの知識で答えた。(お褒めの言葉をいただいた。)


話が一段落するとNさんはおもむろに2枚のチケットを取り出した。


前売りで期日まで1ヶ月はある・・。


「へー。オペラですか・・。きれいなチケットですね。」


「うん。きれいでしょ。家内と一緒に早く来ないかなって楽しみにしてるんだ。」


「へー。いいですね。」


そのとき彼の表情は急に真剣になった。


「でも、二人でこのオペラを観ることは絶対にない・・。」


「えっ。・・・。」


ご病気でいらっしゃるということだった。


二の句がつげなかった。


勤め人をしていると神経は荒々しく鈍くなってくるものであるが、それでも鳥肌の立つ自分を感じた。


(このチケットは紙くずになってしまうということだな・・。)


渋谷のプラモデル屋さんは閉店をしていた。


一緒にパチンコを打とうということになって私は腕まくりをした。


彼は30分もしないうちにもう飽きたと言った。


帰宅の道へとついたのであった。


(つづく)