----- 俳人清水杏芽氏にまなぶ。 -----

----- 俳句は十七音字と「切レ」とで成立する一行詩である。 -----

----- 「切レ」のない十七音字は俳句ではない。 -----


[前回のつづき]


 そこで私は、この不達の命題を、禅僧の公案をまねて

自分の公案とし研究に入り 「校本芭蕉全集」 全巻に

「去来抄」 「三冊子」 を参考とし、芭蕉の紀行文は追跡

体験旅行し実地検証した。 その成果は 「芭蕉句々」

「芭蕉探訪」(三編) となり、俳句同行者・俳句研究者

にお裾分けした。

 

 この研究中のある日、私は【俳句は「切レ」】の啓示を

受けた。 これは研究に没頭した思案のひらめきで、

「悟り」である大収穫、大発見となったのである。

 約十年の研究は、成功裡に大きな喜びとなり終了した

のである。 後日、これを整理し文芸原理とした。即ち

【俳句は十七音字と「切レ」とで成立する詩である】。


 つまり 【「切レ」のない十七音字は俳句ではない】

と言うことである。 この二条は、俳句成立の秘密を解明

した原理で、芭蕉以前より現代を経て将来への 「俳句」

を規定するもので、同時にこの間 「俳句」 が、「本当の

俳句」 と 「俳句に似て俳句でないもの」 との混在を、

間違いとして指摘する原理でもあるのである。


 ここに至り、A群は俳句で、B群は俳句でないと判断す

る尺度なのである。 このとき、A群B群の混在は、その

まま俳句雑誌・句集にみることで、誠に俳句の混乱であ

り堕落なのである。


 斯くの如く、現状分析ができ、把握されたからには、

日本文化の一つである 「俳句」 の充実発展のため

「本当の俳句」 を守り育て、「俳句に似て俳句でない

作品」 は、これを排除し、俳壇より追放しなくてはな

らないのである。

 ここに私の俳句革命の目的があり、それなりの理由

と原則のあることを認めるであろう。

----- 俳人清水杏芽氏に学ぶ。 -----

----- 俳句は十七音字と「切レ」とで成立する一行詩である。 -----

----- 「切レ」のない十七音字は俳句ではない。 -----


清水杏芽氏から、短い返事を受領しましたが、

そのとき一緒に 「俳句の改革を志す」 という

ご本人が書かれた資料(多分何かの雑誌に

掲載された資料だと思われる)の写しも受け

取りました。それを最後に紹介します。

(読み易いように、句点、改行を入れました。)


 - 俳句の改革を志す -  清水杏芽 記


 本年は俳誌 『ホトトギス』 の創刊百年になる。

高濱虚子・高濱年男・稲畑汀子の三大に亘るわけ

である。百年と言えば俳誌 『雲母』 の飯田蛇笏・

龍太親子の二代も約百年になる。また高濱虚子・

水原秋桜子・野村登四郎の系譜も百年になる。

 この間 『ホトトギス』 『雲母』 『馬酔木』 『沖』

を軸とし、これらを囲む結社所属の俳人達、或い

はフリーの俳人達はどのくらい居たものであろう。

約一億に近いと概算するが間違いはないだろう。

 この間或いは名句と評され、或いは人口に?灸

されている作品を振り返ると、例えば


高濱虚子の作品

A 遠山に日の当りたる枯野かな

B 去年今年貫く棒のごときもの


飯田龍太の作品

A 紺絣春月重く出でしかな

B 大寒の一戸もかくれなき故郷


野村登四郎の作品

A 青蚊帳に寝返りて血を傾かす

B 子にみやげなき秋の夜の肩ぐるま


このAの作品を集めてA群、Bの作品を集めてB群

と一括する。


 ところで私は、俳句を始めて約五十年になるが、

何時頃からか 「俳句とは何」 「俳句成立のメカ

ニズムは何」 と疑問を持ち、読書し思案したが、

市販の俳句解説書は、私の疑問の解決には役立

たなかった。

 例えば、前記のA群B群は俳句とされてきたが

間違いないものなのか。

 A群とB群との間に大きな差異があるが、それで

も両軍共に俳句なのか。

 A群が俳句なら、B群は俳句でなくてもよいので

はないか。

 A群が俳句でなくて、B群だけが俳句なのか。

 

俳句は多数決で決められるものではないのだが。


 この百年約一億の俳人達の、誰一人として前記

A群B群の差異を、文芸的理論を展開して、指摘し、

論じた者があっただろうか。私は寡聞にして知らない。

一億人みんな 「俳句は何」 「俳句成立のメカニ

ズムは何」 を探求することなく、「みようみまね」

で俳句を詠み、或いは評し合い、誉めあってきた

者ばかりなのである。

 

 これでは、A群もB群も分類することが出ずに、

共に百年を経てしまっていたのである。

こう考えると、無性に淋しくもあり、腹立たしくも思

えてならないのである。

----- 俳人清水杏芽氏に学ぶ。 -----

----- 俳句は十七音字と「切レ」とで成立する一行詩である。 -----

----- 「切レ」のない十七音字は俳句ではない。 -----


私が清水氏へ出した二回目の手紙の概要を紹介しておきます。

=====

清水杏芽 様            2001年11月30日


[省略]

私は、3年ほど前に、お手紙を差し上げまして、

「切レ」についてご指導をお願いしました者です。

その内容は、次のようなことでした。

一番目は、「切レ」の理論を加味した先生の作品集を

入手したいということ。

二番目は、初心者にも解る「切レ」についての意義や

用い方についての解説書を、特に動詞活用表を例示

して、書いて欲しいこと。

三番目は、現代の著名俳人の「切レ」のない作品を

捉えて、どの箇所に、どのような言葉を用いれば「切レ」

が生じるのか、具体的な添削例を示して欲しいこと。


清水先生のお返事では、「切レ」のある俳句のみを

集めた作品集は、まだ発行されていないということでした。


[省略]

将来にわたる私の俳句学習資料として役立つ資料を

マトメたいと考えました。

そこで、同封の資料

『「切レ」と俳句の正体 -清水杏芽氏に学ぶ-』

を作成するに至りました。但し出版を目的としたもの

ではありません。

資料の「はじめに」と「おわりに」以外は、先生の著書

から抜き出して、易しい言い回しにしたものです。


さて、私は国際語エスペラントを、この25年間(2001

年当時)使用しまして、世界の人々と文通したり、来日

者を歓迎して旅行案内をしたり、私自身も幾度か外国

旅行をしています。

外国でも、俳句に興味を持っている人はかなりいます

ので、後日機会があれば私の資料をエスペラント語に

訳して、日本の「本当の俳句」を紹介したいと考えてい

ます。


[省略]

ぜひとも小生の意図をご理解いただきまして、国際語

エスペラント訳を、ご許可いただきたく、今回お手紙を

差し上げました。


他に、二つの資料を同封していますが、どちらも俳人

と俳句評論家に対して、「切レ」についての正しい認識

を促すため送付した私の手紙と、それを受けて書かれ

たと思われる俳句評論家の記事(写)です。


[省略]

以上、はなはだ不躾に、未熟な小生の作成資料検閲

とエス語訳作成のお願いを致しましたが、「本当の俳句」

を伝えるために、少しは役立つものと考えています。


[省略]

              一俳句愛好者として