身近な死を体感した事がありますか。
自分はまず従兄弟のお父さん、少し話してたけどあまり実感がなかった。火葬の時奥さんが悲鳴をあげながら泣いているのを無心で見ていた。
次にひいおばあちゃん、朝早く電話がかかって来て母さんが出た。「ひいおばあちゃん死んだって」
当時小学生ながら私のこころは冷たくて「あぁそう」そのまま二度寝した。
この頃無心でいられたのはきっと死がわからなかったから。理解が出来なかったから。幼くあまりに遠いもので、死を考える必要がなかったから。
その次は小学校低学年から中学までの親友、高校が違ったからあまり遊ばなくなってた。
交通事故で死んだ。中学の親友同士のグルチャに「亮太死んだって」
それまで死から遠ざかってた俺は流石に冗談だと思ったが冗談をつく理由がない。これは本当かも。
数時間から1日が経った頃学年のグループチャットに誘われ参加。「亮太が交通事故で亡くなりました。通夜は以下の通り…」
あ、本当だったんだ。
交通事故か…160キロ出してたんだな、バカだな。
亮太はクラスでは一位二位を争うバカだった。根っからのバカだったのでみんなから愛されてた印象。
そんなバカな葬式では自分含めみんな笑顔で出席した。「顔見てこようぜ」ガリガリだった亮太は「なんだ変わんねえな」と笑われた。
火葬を終え、お骨を拾うときでさえ「変わんなかったな」と言われる始末。
思い出話をして爆笑したりもした。そんな笑いに包まれた葬式だった。
でもお焼香をしに前に進み、お焼香を額に当てた途端涙が尋常じゃないほど溢れて来た。
年甲斐にもなくひっくひっくと泣いてしまった。
それは自分だけじゃなかった。変わらねえなと足蹴にした友達でさえ泣いていた。みんな泣いていた。
自分の同じ年代が始めて身近に死を感じた時だったんだと思う。そして人が死ぬことの悲しさを再認識できたとき。
これが3回目。
話は変わるが自分は今ツイッターをしている。
そこで仲良くなった人がたまたま近所で、電話や会ったりはしないもののとても仲良くしてもらっている。
先日その人にガンだと打ち明けられた。
いつ死ぬかわからない中生きていくのも悲しいと。
このことを誰かに言わないと自分だけでは持ち堪えららない悲しさだったからこのブログに書いています。
少し酔ってて文章が支離滅裂だけれど許して欲しいです。
沢山思い出を作りたいけど、その思い出は相手にとって意味があるものなの?
作ったら作っただけ、最後の悲しさを増幅させるだけじゃないの?
でも決まってることなら楽しい事を選ぼうと私は思う。
悲しいだけより、一層楽しくて、一層悲しい方がきっとこれからの人生により濃く刻まれるから。
このブログを始めた高一の君。
沢山経験して沢山辛いことがあるよ。
覚悟しておいて。
そしてまだ見ぬ未来の自分、今回のことで確信した事がある。
人は沢山経験して来た方が強い。
辛いこと楽しいことそれぞれ山ほど経験していきたい。そんな気持ちにいまは燃えています。
悲しいことを経験した人は強い。でも根っこはすごく弱くて今にも潰れてしまいそう。それを隠すためにたくさん知って考えて繕う。
人って言うのは本当に弱い生き物だと思います。
こんなこと言ってますが、今のあなたは今の私に恥じない生き方をして来ましたか。
幼稚な文章でごめんなさいね。
あと、お酒は控えましょう。
、おやすみなさい。