いつもブログをご訪問くださり
ありがとうございます
今日は、自分の死生観について
思いを巡らせていました
デジタル大辞泉に掲載されていた
「死生観」の解説は
生きることと死ぬことについて、
判断や行為の基盤となる考え方
生と死に対する見方
どちらかというと私は
昔からわりと「死」について
考えてきた方だと思います
幼稚園の時に、一緒に暮らしていた
祖母が亡くなり
みんなで焼き場に行くと聞いて
「おばあちゃん、ずっとこのまま、
お布団に寝かせておいて」
と言った記憶があります
いつかみんなあんな風に
体から魂が離れていくのか
もうお話できないのか
最期にもう一度
眼を見つめ合ってみたかった
すごく寂しいなと感じて
それから今まで
何度となく自分の死の瞬間を
繰り返し想像してきました
こう言う話は
普段あまりしないですが
たまにすると
「えっ?そんなことしてんの?」
と、結構気持ち悪がられますが
気持ち悪いでしょうか?笑
(聞くなよ)
まぁキモくても
ちょっと聞いてください
私の想像する死の瞬間は
こんな感じです
近くに湖か海か分からないけれど
水が見える家のテラスで
ハンギングチェアで本を読みながら
うたた寝している私は
サイドテーブルの紅茶の香りと
家の中から聞こえてくる
家族の話し声を聞きながら
長い長い
眠りに入って行くのです
この想像は、いつも私を穏やかで
満たされた良い気分に
させてくれるので
私はこの想像に向かって
日々を生きているような
気さえしてきます
そして死の瞬間がこの想像通りの
穏やかなものなら
どんなに素敵だろうかと
思うのです
全ての人に平等に死はあり
生まれた瞬間から
死に向かって生きることになります
生きることや死ぬことへの
捉え方は個人差があり
千差万別だと思いますが
死を意識する
病気になってからは
どう死んだかではなく
どう生きたか
なのだと、改めて
強く感じるようになりました
今日、こんなことを
改めて書いてみたのは
陰ながら応援していた
整体師のシニさんの
ブログを読み返していたからです
というブログをされていた
鄭信義(チョン シニ)さんは
先日12月1日に永眠なさいました
痛みを伴う、壮絶な
闘病であったにも関わらず
最期の時まで明るく
大切な人を大切に生きることを
発信してくださっていました
とくに、今年生まれたばかりの
息子さんに宛てた
父より君へ
というブログの内容は
何度読み返しても
本当に大切なことと
愛情に溢れていて
涙が止まりません
こういう姿を見せていただいて
自分がこれから
どう生きたいかを
改めて、ブレずに真っ直ぐ
見ていけるように思います
いつか魂だけの世界でお会いできたら
直接お礼をお伝えしたいです
シニさん本当に
ありがとうございました
来年から抗がん剤治療のため
しばらくお仕事をセーブします
今年中にお会いできるイベントに
参加して頂けると
とても励みになります
ぜひ合いに来てくださいね
12/11(土)東京国際フォーラム
ヒデキ社長の講演会に参加します
江島直子と行く「鳳凰の旅」
残席わずか
伊勢・鳥羽編
リアル参加できない方には
遠隔参拝(おみやげ付き)
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チャンネル登録してくださると
嬉しいです
よろしくお願いします