エフ=宝泉薫さんの「痩せ姫」(KKベストセラーズ)

 

  痩せ姫とは? それは摂食障害、特に拒食症、過食嘔吐のために体重が20㎏台くらい、あるいはそれ以下まで落ちてしまった女性たちを表現する、「愛をこめた優しい」呼び名です。

 

「 古代の人々は多産を願って、肥満した女性像をつくり、地母神に犠牲をささげた

 現代、インテリジェント・ビルに祀られた電子の神々に、痩せた少女の体が捧げられる」

 

 以上は、本書で紹介されている精神科医、野田正彰さんの言葉(意訳、省略しました)です。出典は、野田さんの著書「漂白された子どもたち」です。

 これがまさに本書の背景にある「現代スレンダー奨励社会」を象徴していると思います。

 

 私のブログを読んでくださっている方の中で、お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、日曜の夜には、なるべくロマンチック系ミステリーか、コージー系ミステリーなどをご紹介するようにしています。たとえばアガサ・クリスティなど。翌日が月曜なので、暗い気分、ダークな気分で〆たくないのです。

 しかし、昨夜、この本を読んで、あまりに衝撃的でしたので、これは取り上げなくてはと思いました。

 

 今までも拒食症や、摂食障害に関しては多くの本が書かれてきました。杵淵幸子さんの「鏡の中の少女」などは名著といってよいと思います。

 それらの書籍とこの一冊には、決定的な違いがあります。この本が「摂食障害を治すために」書かれた本ではないということです。

 著者、宝泉さんは「摂食障害」を「病気」ではなく「生き方」と考えるという姿勢を貫いています。そして、無理に治すのではなく、その「生き方」に寄り添って、その上で、楽に幸せに生きていこうと「痩せ姫」たちを応援していこうというスタンスです。

 はじめ、著者のこの考え方は素晴らしい、と感じ、本書の内容にますます興味が湧きました。しかし、読み進めるうちに、これは実は危険な本なのでは、という懸念が湧いてくるのを押さえられませんでした。

 

 まず、著者は摂食障害のうち、痩せていくものを「制限型」と「排出型」に分けて紹介しています。「制限型」はいわゆるダイエットに近いですが、同一ではありません。「排泄型」は過食した上で、食べたものを体外に排出するやり方。つまり、嘔吐や下痢を自分で引き起こすものです。ここで、著者は「嘔吐のやり方」を微に入り細に入り書き込んでいます。ここで、初めて危機感を覚えました。なぜならこの部分は「過食嘔吐したくてもやり方がわからない人」にとって、かっこうの指南書になっているからです。特に腹筋型嘔吐に関しては詳述されています。チューブ型排出、つまり消化器内科の医師たちが使うようなチューブを使って、胃内容物を強制排出する、というやり方はこの本で初めて知りました。しかも、「排出用チューブ」各種が、ホームセンターなどで簡単に手に入る、というのですから驚きです。

 

 摂食障害を受け入れる、という視点も、ここまで行くと行き過ぎではないか、とも感じられます。摂食障害の人を無理やり完治するよう「強制」しない、までは理解できるのですが。

 著者は精神上のトラブルを抱えている女性が、過食嘔吐により「痩せ姫に変身」した結果、彼女がかつてない精神的安定、充足感、自己肯定感を手に入れた例をあげているのですが・・・・・・やはり考え込んでしまいます。その「彼女」は極度の「体力低下」「栄養失調」「低カリウム血症」などにより、常に「死」ととなり合わせで生きているのです。(特に「低カリウム血症」「心不全」は危険です。)実際に「若くして充足し幸せに」死んでいった痩せ姫もいる、とのことですが。これを安易に肯定してよいものでしょうか。

 

 「成功した痩せ姫」に近いスレンダー美女の例として女優の桐谷美玲さん、河北麻友子さん、一時の中島美嘉さん、一時の宮沢りえさんがあげられています。特に中島美嘉さん主演の「NANA」は中島さんが痩せ姫だったからこそ成功した、と。ここで言う「成功」とは「痩せ姫」たちが「ここまでなら”太っても”よい」と感じる目安とのことです。

 桐谷さんレベルの「肥満」でも許せないという過激な痩せ姫たちもいます。というか多数派です。その志向が行きつく先は「肉体などなくていい」という極限状態です。これは、ある種、国際的大作家ジャン・ポール・サルトルの哲学に通じると宝泉さんは賛美しているのですが・・・・・・私なら死に瀕してまで、サルトルの哲学に肉薄したいとは思えないです。

 

 もちろん、摂食障害ではなく単純に「痩せたい」と願う女性も多いでしょう。「単に痩せたいという願望」と「摂食障害傾向」との境目は「ウェストは細くしたい、でも胸は大きいままの方がいい」と思うかどうかだとのこと。摂食障害傾向の女性は「胸なんてなくなってしまえばよい」と考えるそうです。

 そこには「第二次性徴」への嫌悪感が見られます。つまり、性的なもの全般への拒否反応です。

 ここで、すごく引っかかったのが、作者が「あえて摂食障害を治そうというなら、性風俗産業界で働くことには、一種のショック療法として、一定のメリットがある」としていること。そして、拒食症の少女がレイプされる小説「拒食症の家」(吉川宣行さん著)の例をあげ、しかもこれを否定していません。それどころか、「男の性というものはときに乱暴で大ざっぱだから」の一文でかたづけています。まるでレイプを容認しているように思えます。

 「男とはそういうものだから」と考える著者の心の奥底に、痩身に憧れる少女たちを、あるいは実際に痩せ姫になってしまった女性たちを「女とはそういうものだから」と決めつける心理は、はたしてカケラもないと言いきれるでしょうか。

 

 かといって、この本をおススメしないということではありません。ぜひ読んでいただいて、ともに考えていただきたいです。さらに深く考えたいという方には、宝泉さんのアメーバブログのご一読をおススメします。

 https://ameblo.jp/fuji507/


 ブログを一読させていただいたところ、近ごろは「痩せたい気持ち」を応援し、「痩せる方法をアドバイス」する方向へ、すこしシフトしていらっしゃるようです。

 

 最後に、この本は、現在、摂食障害のただ中にいらっしゃり、罪悪感などで苦しんでいる方には、確かに確実な

「福音」となるであろうことも、お知らせしておこうと思います。実際に、この本によって「救われた」と感じていらっしゃる方は、けっして少なくはないので。