彼はフランク・ウィリアムズとウィリアムズF1を立ち上げ、株主でもありました。
設立当時は、フランクが70%、ヘッドが30%の出資だったそうです。
参戦当初はカスタマーカーを走らせていたウィリアムズでしたが、
1978年にヘッドが初めて設計したマシン、FW06をデビューさせました。
この年は、アラン・ジョーンズの1台体制でしたが、
第15戦のアメリカ東GPで2位表彰台を獲得しています。
翌1979年にヘッドはチーム初のウイングカーとなるFW07を投入します。
彼の特徴である、非常に手堅いマシン設計の末に生まれたマシンは、
チームの記念碑的なマシンとなります。
第9戦イギリスGPで、ジョーンズの手によりチーム初ポール・ポジションが
もたらされると決勝では、
4位からスタートしたクレイ・レガツォーニがチーム初優勝を遂げました。
このシーズンとしても、3回のポールと5勝を挙げて、
いきなりトップチームの仲間入りを果たすことになったのでした。
さらに翌1980年には、FW07とFW07Bにより、チーム初の
コンストラクターズ・タイトルを獲得し、名実ともにトップチームの地位を固めます。
以後、2004年にサム・マイケルにテクニカル・ディレクター職を譲るまで、
チームのエンジニアリングを牽引し続け、その間、実に9回もの
コンストラクターズ・タイトルを獲得するという圧倒的な成績を収めています。
現在は、独自のフライホイール式KERSシステムを提供する
ウィリアムズ・ハイブリッド・パワーの役員を務めることで、
F1の一線からは身を引いています。
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