始まった値引き合戦の裏側
明日放映される「マンション事情」
われわれは身にしみて感じている。
営業の現場がどれだけつらいことになっているか。
給与が上がらず、施工単価、土地代が上がっている。
強気の価格設定はすべて×。
強烈なことが起こっている。
明日、TVで放映されることで、
どんなことになるのやら。
でも、営業マンは必死で顔晴っているのを
見ると
別の意味で、つらい時代になった。
何とかならんのか、今の日本。
最近、住宅ローンの見直しが増えている。
私の知り合いも数人いる。
物価が上がり、ガソリンが上がり続けている。
でも、実質給与は逆に下がっている。
防衛するためにも無駄な出費を減らすしかない。
住宅ローンの見直しを銀行に依頼するのは
全く問題はない。
日本人は、
なぜか後ろめたさを感じるが
どんどん銀行に相談しよう。
今は、
自分の身は自分で守るしかないのだ。
誰も、人を助ける余裕なんてない。
地震対策もそうと思うが、
まだ、他人事。
明日にも来るかもしれないのに
その余裕も無いくらい、
疲れ、疲弊している人は多い。
「何とかなる」と思うしかない。
昨日、東北地方で起きた地震。
地震が起きるたびに思うことがある。
神様はなぜこのようなことをするのだろう。
仏様はなぜ・・・・・。
よく言われる。
「自分の周りに起こるのは自分が招いたこと」、と。
因果応報の原則だ。
また、こうも言われる。
「起こることは結局すべて自分のプラスに繋がっている」、と。
天災だけは誰も防ぐことは出来ないし、
誰の責任でもない。
でも、
阪神大震災をもろに経験した私には
神様、仏様は何故と思えてならない。
それでも、神仏に祈る毎日であるけど。
今日は、朝から仏壇の掃除をしました。
任意後見サービス「エスコート倶楽部」発足にあたり
あなた様にぜひパートナーとしてご協力していただきたく、ご案内申し上げます。
弊社は、不動産の「エスクロー業務(不動産総合事務処理)」に専門特化し、「不動産売買(賃貸管理業務)の後方事務」などを受託代行するサービスを提供させていただいております。
司法書士の皆様におかれましては、日頃から業務の最前線に立ち、最新の情報に目を配りながら、お忙しい毎日をお過ごしのことと拝察申し上げます。
このたび弊社では、業務の拡大に意欲旺盛な司法書士の皆様にご協力をいただき、任意後見サービスのための会員組織「エスコート倶楽部」を発足する運びとなりました。
法律と深く関わり社会的責務を全うする司法書士の皆様のご活躍の場の提供及び業務の遂行を応援し、任意後見、相続支援に寄与していくことが「エスコート倶楽部」の目的です。
この機会にぜひご入会いただき、地域に根ざした私たちの強いパートナーとして、高齢化社会に向けた任意後見、相続支援サービスにご協力いただきますようご案内申し上げます。
「エスコート倶楽部」は、業務の拡大に前向きで、将来に向けて更なる成長を遂げようと、高い志を掲げる司法書士の皆様を中心とする会員組織です。これからますます需要が見込まれ必要とされる「任意代理」や「任意後見」、「相続支援」サービス、そして、その基本ともなる「エスクロー」サービスを主に高齢者の方を対象に提供していくものです。
弊社が今まで培ってきました「エスクロー」のノウハウやネットワーク、営業手法などを通じて、司法書士の皆様のビジネスチャンスの拡大に寄与する機会をご提供いたします。また、会員の皆様には、業務の遂行に必要な各種専用ソフト(創造法認定)や多彩なコンテンツもご提供させていただきます。
いま、「エスコート倶楽部」にご入会いただきますと、発足記念のご入会特典として、①『任意後見・認知症簡易Checkソフト』②『エスクローCorpus基本知識編』を特別に進呈いたします。
この機会にぜひ、ご入会いただき、「エスコート倶楽部」を応援してくださるパートナーとしてご協力いただきますよう重ねてお願い申し上げます。
「エスコート倶楽部」へのご入会には、所定の手続きが必要です。詳しい資料を送らせていただきますので下記までメールをお願いいたします。
メールアドレス:info@brain-staff.co.jp
必ず、〒、ご住所、お名前(事務所名等)、TELをお願いします。
あなた様が発足メンバーとして、任意後見サービス「エスコート倶楽部」にご参加くださいますことを、事務局一同、心よりお待ち申し上げております。
株式会社ブレインスタッフ エスクローズ・テラス 「エスコート倶楽部」事務局
心の中のふるさと 天草島 (荒木忠夫)
--先日、会社で歯の定期健診があった。
その折り、医者は私の歯をほめてくれた。
「三十八歳の年齢で虫歯が1本もないのだから、たいしたものだ」というのである。
医者は私に「生まれはどこですか?」と聞く。「九州、熊本県の天草島で生れそだった」と答えた。
医者は「やっぱり島そだちの方ですか」とうなずいていた。
その夜、床についた私は、歯が丈夫にならざるを得なかった少年時代の頃のことを想い出していた。
当時、天草島はどこの家も貧しかった。米のごはんを食べるのは盆と正月と村祭りのときだけ。
いつもはサツマイモか麦。もちろんお菓子やアメなんか、ほとんど食べたことはない。鰯だけは豊富だった。畑の肥料にするほどだった。私たちは、おなかがすくといつも鰯をまるごと食べて空腹を満たしていた。そんな食生活なので島の人はみんな歯が丈夫だったのだと思う。
私の家は零細の農家で八人兄弟。姉も兄も中学卒業と同時に島から出て行った。口減らしのためだ。私が中学校へ行くころになっても私の家は依然として貧しかった…。
………(中略)………
私が中学一年生のとき春の遠足があった。たぶん私は、この遠足の思い出だけは一生わすれることはないだろう。
遠足の楽しみは何といっても弁当だった。どこのウチでも遠足の弁当だけはふんぱつしていた。私のウチでも米のごはんのおにぎりとタマゴ焼きをいつも母が持たせてくれた。その弁当を友達とワイワイさわぎながら食べるのが最高に楽しかった。
遠足の前夜はワクワクして、よく眠れない。こんどもそうだった。
待ちに待った遠足の朝、母が悲しそうな顔をして私に弁当を手渡す。弁当の中身はサツマイモだけだと告げる。蚊のなくほどかすかな声で「かんべんして」といっていたようだ。母は目に涙をふくませながら私の手を強くにぎって離さない。母の手はブルブルとふるえている。
私は大声で母をののしり、母の手をおもいっきり振りはらった。その反動で母はよろけた。でも私は母にかまわず泣きながら走った。しばらく走ったところで後をふり返ってみた。母は地面に泣き伏していた。
遠足の弁当の時間、私は天神山の山頂の藪の中にいた。クラスのみんなが私を探している。その声を遠くに聞き、私は藪にひそんでいた。空腹には勝てず私は泣きながらイモをかじった。自分の涙でイモがびしょぬれになっているのがなさけなかった。
家に帰ってからも私は母をののしり責めた。母がどれほどつらい思いをしているかなど中学一年生の私には理解できなかったのだ…。
………(中略)………
私が中学三年生になり、高校進学を間近にひかえた頃、担任の先生の勧めもあり、私は島の高校ではなく、熊本市内のK高校を目ざしていた。そのため必死になって勉強もしてきた。
十二月のある日、父と母は私をいろり端に坐らせ「熊本の高校はあきらめてくれ」と告げた。「おまえを熊本に下宿させる費用がない。島の高校ならなんとかなる。島の高校でがまんしてくれ」と両親は私に頼みこむ。
私は父と母を大声で罵倒した。それ以来、私は家族の誰とも口をきかなくなった。あんなに熱を入れていた勉強もほっぽり出した。重くるしい毎日が続いた。そして歳が明けて元旦となった。
島を離れ、社会人として働いている姉と兄が帰省してきた。毎年、家族全員で行なっている初もうでにも私は参加しなかった。元旦の朝からふとんをかぶって寝ていた…。
目をさますと、まくらもとに年賀状が置いてある。十枚足らずのようだったが、大した感情もなく私は一枚ずつめくっていた。どれもこれもクラスの友人からのもので「ことしもガンバロウ」という内容だった。
いちばん下にあった年賀ハガキを見て私はドキンとした。鉛筆を、なめなめ書いたらしい。字が、ところどころ濃くなっている。差出人の名はなかった。でも私には、それが誰であるかはすぐにわかった。同じ家に住む母からのものだった。ハガキにはこう書いてあった。
「おまえに“明けましておめでとう”と言うのはつらい。でも母さんは、おまえが元旦の日に家族の前で笑ながら“おめでとう”といってくれている夢を何度も見たよ。
おまえがまだ小さい頃、おまえが泣き出すと、母さんは子守歌を歌っておまえを泣きやました。でもいまはもうおまえに歌ってやれる子守歌がない。どうしたらいいのかわからない。母さんはほんとうに困ってるよ。こんどはおまえの方から母さんに“親守歌”を歌ってほしいよ。
ハガキを読み終えた十四歳の私は、元旦の寝床の中で大声をあげて泣いた。中学三年生の反抗期の私に向けて母が歌ってくれた“心の子守歌”だったのだ。
このとき、はじめて私は親の気持がわかった。私は、とび起きてふとんをキチンとたたんだ。申しわけない。ほんとうに申しわけないという気持でいっぱいになった。
初もうでから帰ってきた両親を私は正座で迎えた。「どうか島の高校へ進学させてください」と、両手をついて頼んだ。こうして私は島の高校へ入学した。
島の高校ヘ入ってからは、がんばってがんばりぬいた。おかげで、奨学金で大学へ行ける資格を得た。このとき、父は命の次に大事にしていた山の種松を売った。私の入学金をつくるためだった…。
………(中略)………
あれから二十年ほどの歳月が流れた。私は結婚をして子どももできた。両親は島で元気にくらしているようだがしばらく会っていない。
ある晩、中学三年生になる我が家の長男がつむじを曲げた。ささいなことが原因だ。長男は「お父さんもお母さんもボクのことわかってくれないんだ!」と大声で私たちをののしり、自分の部屋へこもってわんわん泣きだした。
私は自分の少年時代を思いだした。こうして何回となく親にくってかかったものだ。
そういえば、あんなにめんどうをかけた親にろくに親孝行をしていない。「子をもって親の恩を知る」という諺があるが、いまの私はその心境である。
そんな折り、NHKテレビで作文募集のニュースを見た。そうだ、両親のことを書こう。
もし入選したら放映される。全国ネットだから天草島にいる両親にも見てもらえる。そんな思いで作文コンクールに応募した--。
★私は昨年、母を亡くしました。私も全く親孝行が出来ていませんでした。
日本電産の永守社長のことばです。
なかなか難しい言葉です。
親鸞聖人も実はこんな感じだったと
何かの本で読んだ記憶があります。
Yes , I can ! で顔晴りましょう。