
修学旅行という子供にとって重要なプログラムで、しかも子供の安全を第一に考えるべきプログラムで、当然のように、大手の信用がおける旅行会社を通じて実行され、その添乗員が同行し、公共交通機関やプロフェッショナルな宿泊施設を使うものだと思っていた。
ところが、いつのまにか、素人集団のガイドや交通手段や民泊を利用する形態が始まっていたなどということは考えもしなかった。こうした発想はいったいどこから来るのだろうか?
修学旅行における民泊利用に対しては、生徒の安全性や生徒のプライバシー侵害や民泊先ごとの環境格差への強い懸念がある。子どもを預ける保護者の視点から、子どもたちの不在時の室内撮影や過度な状況確認画像をネットに上げるなど、正当な管理の範囲を超えた不適切な行為で全く許し難い。
ホテルの規律や一般的な宿泊契約の常識からも逸脱しているうえに、滞在する家庭によって、部屋の広さ、食事の内容、受け入れ態えに大きな当たり外れも生じるだけでなく、教員の目が届かないため、トラブル発生時の初動対応や安全確認に限界がある。
民泊が抱える構造的なリスクルールの不透明さは、ホテルと異なり、管理規定やプライバシーポリシーが属人的になりやすい傾向があり、「防犯」や「確認」を名目に、過剰な干渉が行われ、偏った思想教育の場となる危険な側面もある。
教育的意図との乖離地域交流や生活体験を目的として導入されるケースが多いものの、実態として生徒や保護者に精神的負担を強いる形になったり特定の思想教育の場に利用される恐れがあり、同一料金を支払っているにもかかわらず、生徒間で宿泊環境に格差が生まれる点も不平等感が残り、修学旅行の意味を失う懸念が強い。
どうしても修学旅行に民泊を取り入れるならば、数々の重要な懸念事項をしっかり解決した上で、生徒の身体や精神の安全確保とプライバシー保護の観点から、学校側には宿泊先の選定基準や、滞在時の具体的なルール運用について、より厳格な確認と見直しをすべきだ。
そうでなければ、この度の辺野古活動船転覆事件のような未来ある生徒の尊い命が失われる悲惨な修学旅行になったのでは本末転倒である。修学旅行は楽しい思い出にしなければならない。


