でも鳥籠の外に咲かせられた大切なモノの花は眼に潤いを持たせた。


そして空を仰げば、そこにはあまりにも壮大な水々世界が広がっていた。


それは私の全てを潤した。



誰かが言った。



『大切なモノってなんだろう・・・』




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完結しました。


大切なモノの種に自分の飲める水までも与えてしまう覚悟・・・。


それはある意味現実世界ではうまくいかないことかもしれません。


しかし、それは自分に潤いを持たせてくれるモノだということを


忘れてしまわぬように・・・・・


大切なモノだと思っていられるように・・・・・


それ自体が自分であると思うことが出来るように・・・・・。



しかしボクにとって鳥籠はけして渇きだけを意味するモノではない。


ボクが『ボク自身』を知れていない段階で鳥籠なしでこの世界に立つことは


出来ないと思う。


あるときはボクを守ってくれる『鳥籠』・・・。


またあるときは『水』の大切さを教えてくれる『渇き』・・・。


一見”Escapism x towN”の趣旨とはかけ離れたモノと思っている人も


いるかもしれないが、実はそれらがあるからこそこの街があることを


理解してもらいたい。






小さな芽が出て、だんだん伸びてきて、


自分が隠れるくらい鳥籠をうめる大切なモノの葉と茎と根・・・。


鳥籠の外まで伸びて上の方から花の香りと隙間から覗く今までにない


やわらかな光・・・。


外に出なければ見れない大切なモノの花。



『ただひと目だけでも・・・』



鳥籠のそばを離れなければ大丈夫と、フッと渇いた地に足を踏み出してみたら


鳥籠はもうあまりにも小さくて戻れなかった・・・。




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後戻りを許されない道を歩んだ鳥籠の鳥。


『大切なモノ』のために『鳥籠』を保険にすることはきっと間違っていたことなのだろうか。


『大切なモノ』と『鳥籠』ではなく、この枯れ果てた地に求めていた、


『何か』と『鳥籠』を秤にかけるのではないのだろうか。


『大切なモノ』はあくまで『大切なモノ』・・・。


秤にかけるモノではない。


枯れ果てた地に求めていたモノは何だった?


この先にどんなモノがあろうと、


『後戻り』というモノが出来ないことをあなたは先に悔やむ?









『私の飲めるだけの水は底をつき、何も残せないまま


干からびて朽ちてこの地の一部になるのだろうか・・・。』



渇いた地に落とされた同胞が更に縮こまっていく。


渇いた地に落とされた同胞が何かを諦めて全ての水を一気に飲み干す。



だがどちらも干からびていった。


自分が飲む水もその種に注いだら・・・?



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渇いた地で次々と自分を残せないまま干からびる運命にある鳥は


あなたではないことを祈って・・・自分ではないことを祈って・・・。