国家の「安全保障」 | 黒瀧光靖の連れ連れなるブログ

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本日はこのニュースを取り上げます。



『国防めぐり「米政権は日本に外圧を」


フジテレビ系(FNN)

日付:2017-03-28(火)


トランプ政権には、日本に外圧をかけてほしいと強調した。
橋下 徹前大阪市長は「僕はやはり、アメリカに強力な外圧をかけてもらいたい。日本に対してですね。日本は、僕は非常に悔しいし情けないし、本意ではありませんが、外圧がないと日本は変わりません」と述べた。
日本維新の会で法律政策顧問を務める橋下 徹前大阪市長が、27日、訪問先のワシントンで講演し、「場合によっては、在日米軍撤退もあり得るといってくれれば、日本人はしっかり考えることができる」と述べた。
一方、学校法人「森友学園」をめぐる問題では、「安倍政権は今、非常に苦しんでいる」としたうえで、「いつ北朝鮮がミサイルを発射するかわからない危機的な状況の中で、わずか数億円の国有地の売買をめぐって、日本の国会は大騒ぎになっている」と、皮肉交じりに指摘した。』




「外圧がないと、日本は変わらない。」

う〜ん、そうなのかなぁ…と思うところもあるのですが…。

私個人の感想として、一民間人の橋下徹氏がワシントンの講演でこれを言いにやってきた真意というのは、「外圧を使う」ことの「忖度」をアメリカ人に求めているのではなく、「日本はこんなに平和ボケの国なんだ!」ということの訴えではないかと思います。


ここでいう外圧云々とは勿論「軍事」の面に関してのことです。
確かに日本では、「軍事費を1円でも上げる」となれば、野党がそれに反発するといったお国柄です。
しかしこれは国民の有事に対する危機の薄さなのでしょうか?

日本人の危機感の薄さに関してよく言われる1つの理由は「他国との戦争によって日本が侵略されようとした歴史が殆どない」ということですね。

あるとすれば、800年ほど前の「元寇」か70年ほど前の「第二次世界大戦(「太平洋戦争」か「大東亜戦争かの表記に関しては意見が分かれるため、敢えて用いません。)」でしょうか。

最も「元寇」に関しては、当時の武士の力もあったものの、「神風」ならぬもので日本は運良く追い返すことができました。

第二次世界大戦に関しては、確かに日本本土に直接空爆、原爆を他国から受けた唯一の戦争です。

しかし、その後の「日本軍の弱体化」を謀る米占領軍が、軍事的・外交的・思想的観点から戦後の日本を改変していきました。これによって「我が国の人々はいわゆる『洗脳』をされて、有事に対する危機意識が低くなった」というのが言説ですね……右派論客達は間違いなくそう言います。



しかし日本は別の種類の「有事」の危機に常にさらされている国です。
それは何かというと自然災害です。

例えば、毎年日本には台風がやってきます。それによる強風で家屋は壊され土砂災害で山間部の集落は崩壊し、加えて交通規制や学校の休講など様々な緊急事態が起こります。農作物や漁業にも深刻なダメージを与えます。

火山の噴火が起こる可能性もあります。日本は地理的に火山大国です。ちょうどプレートプレートの境目に国があるのですから。こちらは台風と違い、襲来を予測することは絶対に不可能です。
火山が一度噴火すれば、溶岩が流れ出ることはまだしも、人に甚大な被害を与える火砕流が発生します。2年前の御嶽山の噴火による犠牲者の大半は、この火砕流によって飛んできた石、或いは呼吸困難などでした。更に火山灰が撒き散らせれることで、農業にも壊滅的ダメージを与えます。

そして何と言っても地震が多いです。理由は火山が多い理由と同じです。
地震も予測は絶対不可能です。地震が起これば建物は倒壊し、液状化現象により地盤が軟化し、場所によっては「津波」が発生します。あの忌まわしき東日本大震災で多くの人の命を奪った元凶がこの津波です。そしてこれにより、福島第一原発事故という「有事」が発生することとなりました。


日本人は軍事的な脅威に晒されていなくとも、

自然災害という「有事」の危険性を常に抱えた国です。

だからこそ、日本人というのは互いに争い合うのではなく、一致団結することによってこれらの危機を乗り越えてきました。


しかし一方で、自然災害というのは軍事的脅威と違って脅威を未然に防ぐことは不可能です。私たち日本人が「有事を未然に防ぐ」といった考えが薄いのはこれが原因なのかもしれません。
「起きることは仕方がない、でも、もし起きたらみんなで団結して乗り切ろう」
そんな国民性なのです。

とは言え、脅威を防ぐことはできなくとも「脅威が起こった際にいかに多くの命を守るか」という観点では軍事的脅威も自然災害も同じです。


他にも日本でよく言われる「事勿れ主義」の弊害ともとれますね。

日本には「言霊信仰」というものがあります。「言葉には言霊が宿っている。だからもし『〜が起こるかもしれない』と言えば本当に〜が起こるのだ」という信仰です。
そのため、
「〜が起こるかもしれない…」
と誰かが一度言えば、
「そんな縁起でもないことを言うでない!」
の一言で一蹴されてしまうのです。

これも「自然災害は自然の怒りだ」という考え方に基づくのかもしれませんね。自然災害が起こらないようにするために人ができることといえば、只ひたすら「祈る」ことだけですからね。

ヨーロッパの人々が日々晒されていた軍事的脅威のように「卓越した外交」ではどうにもなりません。




長々と話しましたが、何が言いたかったかというと、我々日本人は

「軍事的脅威と自然災害を同じ有事として扱おう」

という考えにならないのか?
ということです。
※スイス🇨🇭ではそういう扱われ方をされていましたね…。専門家ではないので詳しくは話せません。

自然災害だろうと軍事的脅威だろうと、第一に必要なのは、「1人でも多くの命を救うこと」です。勿論軍事の場合は「未然に防ぐことができる」のですから、そこは柔軟になれないのか、と。
やたら「外交努力だけで〜」のようなことをいう人もいらっしゃいますが、大国同士の外交というのは、残念ながら軍事的裏付け」があって初めて成り立つものです。最も日本の場合は、その基盤が軟弱ながらも、何とか70年間外交努力をしてきたとは思いますが…。



最近日本は「外圧を利用して〜」といったことを、叫ぶことは少なくとも、実際に「外圧を利用して」改革を進めてきているように思えます。

農協改革TPPIR法案、これらは全て「アメリカ」の外圧です。

アメリカ政府の陰謀ではありません。
アメリカに本社を置くグローバル企業(在日商工会議所のメンバー)グローバル投資家達からの要望・要請に過ぎないのです。
ある意味、こうした改革は日本政府の「忖度」なような気がします。

勿論グローバル企業主グローバル投資家の目的は、日本支配でも何でもなく、単に「自らの利益を増やすこと」です。



農協改革やTPP、私は日本の食の安全保障蔑ろにする政策だと思っています。

「安全保障」というのは、何も「軍事力」だけてばありません。
エネルギー・資源、食料、インフラ、経済力……etc

これらを保持することは「国の安全保障」に他なりません。





ともかく、日本の国家の安全保障に関して、

「自分たちのことは自分たちで決める!」

と明言する政治家達の声が中々反映されない社会が残念でなりません。