どうも、ロバートギャウニーJr.から紹介預かりました、かいです。いいこと書いてますね。臥雲が本気になったらプロ級にうまくなりそう。。

紹介にあったように、DJ Open ShellというDJネームで曲を作ったり身内バトルのDJやらせてもらったりしてます。「かいくんさん」とか「かいくん」と呼ばれてます。

ルーツ=ポケモン?

えっけいが言ってたように、お互いのルーツを知ることは大事だと思います。僕も皆さんのルーツを知りたいですし、逆に僕のルーツを知って欲しいなと思います。
 
最近、研究室の先輩の影響でPokemon GOを3年ぶりにやったら、ハマってしまいました。ダークライを捕まえた時はまじで嬉しかった。。ポケモンを捕まえて進化させて図鑑をそろえていく感覚が懐かしいですよね。実は、保育園の年中くらいからポケモン(ゲームボーイのルビー&サファイア)やってて、ポケモンパンに付いてくるシールも集めて友だちと交換してました。22歳になってもポケモンにハマるなんて、考えもしなかった。。自分のルーツにポケモンは大きな影響を与えている気がする。。

大学入学前

そんな自分は、長野県の長野市で生まれ育ちました。保育園はポケモンに、小学校は野球にハマり、中高は陸上(長距離)と勉強しかしてませんでした。
 
小学校はクラスで騒いでいるようなお調子者でしたが、中高はワイシャツの第一ボタンを3年間しめ定期テストを毎回ガチでやる(1回だけ5教科500点満点取りました笑)ようなクソ真面目キャラになってしまいました。小中いっしょになった友だちからビックリされるくらいです。。
 
中学の部活では1500mの種目で、県大会にあと一歩のところで行けませんでした。それが悔しくて高校でも陸上を続けました。高校の部活では週6日で平日は毎日朝練があり、授業も1限から小テストがあって、まじで忙しくて余裕がなかったです。でも最後は、念願の県大会に3000m障害という種目で出れて決勝までいけました。中学時代の悔しさを晴らすとともに燃え尽きました。
 
この前の台風19号で地元長野市の千曲川が決壊してしまいましたが、
あそこは高校時代に練習でよく走っていた所だったので、かなり心が痛くなりました。
あと、自然災害に対して見届けることしかできない自分の無力感を感じました。
帰省する時にボランティアに行って、何かしら貢献したいと思ってます。
 
ここまでは大学入学前のことを書きました。
勉強も部活もそこそこ結果が出たので、
特に深く考えることなく苦労なくやってました。
しかし、esに入ってからは練習しても思うような結果が出せなかったり、
みんなに付いていけなかったりで、悩んだり考えたりする時間が多かったです。

入学後

自分の中で4年間やってきたことを整理しきれてないので、ダンスとDJの2軸で整理させてください🙇‍♂️
スペース使いますがお許しを。。
 
ダンス
学年 出来事
1 4 新歓の中庭公演のOPラスユニの熱量がすごすぎて、ダンスに興味をもつ。
10期ともやさん(サムネイルでフリーズ決めてる先輩)に勧誘されesに入る。
そこからブレイク一筋。
1 9 WAKATE・身内バトルに出る
1 11 エアチェアの練習を始める
1   春パ・クライベ・矢上祭・三田祭・イチイベ・新歓
2 5 WAKATEに出る(予選敗退)
2   クライベ・矢上祭・三田祭
3 8 夏合宿で初めてソロ(エアチェア)をもらう
3 10 バイト先の4周年イベントでd-mcの先輩と一緒に踊る
3   クライベ・三田祭
4   三田祭

DJ
学年 出来事
1 6 音楽制作にハマる
1 8 Shazamで曲を探しまくった結果、「Shazamer」と呼ばれるようになる
1 10 「Sergio Mendes - Vem Magalenha (Open Shell Break Remix)」を作る
1 2 「For Freeze」を作る
1 2 身内バトル部に所属
以降バトルの運営を行う
2 12 身内バトルで初めてDJをする
以降バトルのDJを行う
4 9 The PlanetのDJ

 

伝えたいこと

不器用だ◯◯、

ダンスを始めてから気づきましたが、僕は不器用です。

今までそんなことを思ったことがありませんでした。

みんなができること、自分が頭でわかっていることでも、できない時が多々あります。

1イベの跳び前転で腰の骨を痛めて、年末年始に地元(長野)の雪の上で跳び前転の練習をしたこと。

この三田祭のフットワークのシャチもそうです。

振り入れ時点で、他の3人は余裕でできてるのですが自分だけできませんでした。

深夜練を通して段々と上達してきました(教えてくれたえっけー・としき・しゅんに感謝です)。

 

思えばBreakを始めた時から、チェアとかフリーズができるようになるのが同期と比べて遅かった気がします。

イチイベが終わって新歓の練習期間が始まったころ、危機感が生まれてきました。

今の自分のスキルのままで、後輩が入ってきても十分に教えられないし、すぐに後輩に越されてしまうと超焦ってました。

そこで、新歓までにウィンドミルを1周するという目標を立てたのですが、達成できなかったんですね。

目標を達成できなくて悔しかったのですが、そこからは開き直ってました。

同期と同じ練習をしても自分だけ習得スピードが遅くて、それが1年やっても変わらないから、

少しダンスから離れて本当に自分はダンスがしたいのか確かめようと思うようになりました。

 

ここでは自分の中で選択肢が2つあって、僕は②を選んだ形になります。

①不器用「だけど」粘り強く続けてこう

②不器用「だから」少し離れてみよう

 

「諦め」とも受け取れるかもしれません。

でも、それが悩んだ末の決断でした。

そして、2年の春ぱあたりからダンスを離れました。

当時春ぱのコマ責をしていた慶さん、そして同期には迷惑をおかけしました。

 

しかし、ダンスから離れてみて色々な経験ができました。

塾講師や居酒屋などのバイトができたり、ロードバイクで旅したり、プログラミングスクールに通って生徒から先生になってそこで色々な方と出会えたり、この1年間がターニングポイントになった気がします。

それとともに、改めてイベントに心から出たいと思うようになりました。

 

高校までは、①が絶対的に正しいと考えていて、迷わず選んでいたでしょう。

結果が出るのは当たり前だと思ってて、とくべつ苦労してなかったからです。

 

しかし今の自分だったら、どっちも正解だと思います。

9期しょうたろうさんがおっしゃっていた「自分の選択を正解にする」に近いかもしれません。

ダンスを通して、②の考え方が身をもってわかるようになり、

間違いなく視野が広がりました。

 

ーここからは補足ですー

 

ただ、②の考え方は非常に厄介です。

僕は本当に苦しんで悩んだ時に後者を選ぶものだと思ってます。

なぜならその決断で周囲の人に迷惑をかけてしまうかもしれないからです。

 

逆の立場を高校時代に経験しました。

陸上部で長距離をやっていた時に、もともと同期が自分を含め4人いました。

しかし、他の3人が競歩に移ってしまいました。

運営代になったときに、自分ひとりで後輩7-8人くらいのメニューを考え、

練習を引っ張らなければなりませんでした。

この時は同期が長距離より競歩の方が向いていてやりたいということでよかったのですが、

後者の決断をすると、周囲の負担になってしまう可能性があります。

それを頭の片隅に置いた上で決断するべきだと思います。

esという大きな組織の中で

ここからはdance crew esという組織に目を向けての話になります。

esは300人以上いる大きな組織ですよね。

地元の中学校とか高校並みの規模って考えるとデカすぎる。。

1年の時はただただ大きいなとしか考えていませんでした。

 

しかし、1年イチイベあたりに考え始めてしまいます。

(しゅんが比較対象としてわかりやすいので例に出します)

「しゅんは三田祭でソロをもらったり、イチイベの総代表になったりして、この1年間でesの中で存在感がある。しかし、自分はどうだろうか。」

「自分ってダンスであんまり目立ててないし、とくべつ役職にもついているわけでもないし。。」

みたいな感じで、負の思考のスパイラルに陥ることがありました。

簡潔に言うと、自分の組織の中での存在意義・価値を考え始めてしまいました。

 

ダンスで目立ててないから、何かしらでesに貢献して存在意義・価値をもてるようになりたいと思いました。

それは、やっぱり9,10,11期の先輩方にダンス教えてもらったり、遊び企画してもらったりで、1年の時にお世話になったからです。それを次の代に伝えるのもそうだし、できれば今のサークルよりもよくしたいと思いました。

 

そして、1年の2月からバトル部に入り、バトルの運営をしてきました。

非常に細かいですが、貢献できたことが2つあります。

・バトルのトーナメント表:従来は当日に手書きで作ってましたが、前日にExcelで作り運営に余裕をもたせることができました。

・エントリー方法:従来はメーリスへの返信でしたが、Googleフォームを導入し整理する手間を省きました。

GoogleとかMicrosoftの力は偉大だとつくづく思います。。

 

あと、2年の冬からDJとしてバトルの曲をかけるようになります。

最初は緊張してかける曲を全部前もって決めてました。

今では、その場の盛り上がりとかダンスのスタイルを見て

「この人はこの曲で踊ってほしい」とか「この人がこの曲で踊るの見てみたい」と

考えられるくらい余裕をもててます。

でも、Best16くらいになると選曲でめちゃくちゃ緊張します。。

あと、延長戦になった時の曲選びがゲキムズです。

 

最近はヒデとかケイにDJを引き継いだり、自分が集めた曲を渡したりしました。

 

こんな感じで、自分の場合はバトル部での活動によって、

ようやく自分がesにいることを誇りに思えました。

 

自分のダンスを極めてesをレペゼンするのも、コマ責になってコマ生を引っ張るとか、

広報でesの活動をもっと広めてくろか、コマで後輩に教えまくるとか、

飲みで全員と話すとか、esへの貢献の仕方が何千何百通りあると思います。

ひとりひとりが自分なりの方法を見つけられれば、最強の組織になるはず。

 

今のBreakコマの13期を見てると、

13期ひとりひとり実践してて、めちゃいいな ー!

最後の三田祭

もともと去年の三田祭が最後のつもりで、7月まではそう思ってました。

ここではなぜ気が変わったのか理由を2つ話したいと思います。

 

1つ目は、クライベを見に行ったところ、自分がもうOBになってしまったかのように感じてしまったからです。

出てないから当然と言えば当然ですが。

あと、同期や13,14期から「かいくんさん、出ないの悲しいです」的なことを言われたからです。

これは最後出るしかないなと思いました。

 

2つ目で、決定的となります。

7/14に行われた身内バトルで、さとし(12期)とじょんに「三田祭出るの?」とふざけて聞かれ、

そこでノリで出ると言いました

 

これで自分の中で三田祭に出るという思いは固まり、オーデを経て今にいたります。

15期のみんなとは初めましてで、現時点であんま話せてないから、もっと話したいです。

体幹はやっぱり大事

あと体幹いっしょにやりましょう。

僕が1年生の時は三田コマを最初に体幹3分やってました。

(当時コマ責の)10期ひかるさんは体幹を大事に考えていて、

もっと前から鍛えとくべきだったとおっしゃってたくらいです。

 

今のところ40日間くらい続いてますが、

ダンスのブレが少なくなったように感じるし、

日常生活でも姿勢がよくなり前より堂々と胸張って歩けるようになりました。

 

ゆうじが言ってたように、

今はインスタで見られてるからとか、コマの目標で決めたからとか環境要因で

自然とやらなきゃと思うことが多いです。

 

しかし、効果を実感できて、

三田祭後もできることなら続けたいと思うようになりました。

たぶん投稿はしませんが、1日のタスクの中に入れてると思います。

 

言い忘れてましたが、

体幹見てくれたり、いいね押してくれたり、ありがとうございます。

あれが励みになってます。

 

最後に

伝えたいことというよりは、共有したいことでしたね。。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

あと1ヶ月間楽しんでいきましょう!

 

お次は、

Youtubeチャンネルを最近開設したあの人気アイドルグループ嵐のメンバーの一人である、

松潤に似ていると噂になったあの漢、、