どうも12期 廣中太一です

寒くなってきて嬉しいです

スト缶ぶち込んで書いてます。家で酒飲むの初めて。酒は嫌いです。

 

ダンスって最高だよなとかそういうのは一切ないんで興味あるとこだけ読んでくれれば。

9%位伝わってくれたら幸いです。

 

 

自己紹介

 

 

 

亀金魚虫鳥犬を経て現在猫と妹含めた5人家族。

歴代のペットが全て謎の失踪を遂げていたのは、

父親が全部生き埋めにしていたからだと最近知りました。

 

 

千葉で生まれKYANDY TOWNのレペゼン喜多見に今は住んでます。

二子玉川まで30分かけてチャリで通ってます。

 

 

夜はずーーーーー多摩川沿いにいます。

地元大好きです。

 

 

去年まで慶應中等部のサッカー部コーチもやってました。

一応土日まるまる含む週4と長期休暇は毎日行ってました。

 

申請すれば同じ活動内容で体育会扱いにすることも出来たらしいので

もしかしたらサークル入らずに学ラン着てたのかも。

 

必修の定期テスト切って試合行く位には気持ち込めてやってました。

 

 

音楽、洋服、本、映画が好きです。

 

ありきたりだなぁ

豆腐を作る工程に出る際のにがりも好きって事にしておこう

にがり、やばすぎる。めっちゃすっきゃねん、、、

 

 

<文学・日本語>

文学が全芸術作品の中で優れていると思います。日本語大好きです。

 

 

映画も結構好きだけど、どうしても完成されたものだから監督とのバイブス大事だし

 

 

あ、たくみが今からLSD食います。

突然ですが15期の皆はすずきたくみのことを知ってますか?動画覚えてるかな。

 

彼はいつも練習に32ℓのやかんを持参してたのですが、ある時気になって中身を見てみたら空っぽだったんですよね。

 

何かを飲んでいるかのように笑顔でゴクゴクしているのですが、毎回中身は入っていないんです。(たまに大量の磁石が入ってました笑笑)

2の5乗だから縁起がいいんだ、といつも言っていました。

彼は唯一人類で二進法に支配されています。

 

当時は不気味で仕方が無かったです。

来年以降彼が復帰したら優しく迎え入れてあげてください。

 

 

 

本読むと単純に美しい言葉を知れますよね。

 

 

例えばなんだろ、

「木漏れ日」

って言葉あるじゃないですか。あれって日本語にしかない概念なんですよ。

 

他の言語で形容するならば、「木々の間から射す光」とかなんですかね。

 

他の国の人たちは「光」っていう広い概念があって、その中の「木々の中から射している」ものでしかないんですよ。あくまで一部。

 

でも日本人はあの「光」を見て特別な、独立した物として捉えられるんですよ。

 

語彙が増えれば増えるほど、

自分が今目にしている世界をより鮮明に判別できるようになります。

 

 

同時に自分の感情の理解度を上げる助けになります。

 

 

例えば何かに圧倒された時、

 

その人が

すごい

って言葉しか知らなかったら他のシーンの印象も同じになってしまいます。

 

でも世の中には

 

やばい、ヤバすぎぃ、レベチ、レベルチ、ジゲチ、ケタチ、段チ、化け、病気、疾病、だっきゃ、だっきゃそれそれ、、、、、

 

沢山感情を表す言葉がありますよね。

 

 

そうすると

・三田祭ステージからの景色はジゲチだったな~

・Isseiのムーブはまじで疾病!!

・銀屋早朝に開いてるのだっきゃ、、、

 

 

ほら。全然違う物になりますよね。

 

 

言葉を知ると外的情報に加え、内面の感情それぞれの解像度を高める事が出来るんです。

 

 

 

 

語彙だけに限らず知識全般でこれ言えて。

ゆうじも大学の勉強の事で似たようなこと言ってたけど。

 

ダンスの知識が増えれば、動画とか見て何しているか分かるようになって、

 

映画を見てて、他の映画の知識があってオマージュに気付いたら、意図に気付けたら、

 

何気ないシーンが印象深いものになるし

 

ラップ聞いてて他の曲を知ってたらサンプリングに気付けるし

 

世界史の知識の有無で、同じ視覚的情報を得てもベルサイユ宮殿の捉え方や感じ方も全然違うと思うんですよね。

ベルサイユ宮殿、すごかったです。

 

 

 

勉強すればするほど、

同じ経験から得られる情報量が増えて日々の質が向上し豊かになるのではと思います。

人間一生勉強です

 

 

 

 

そんなこんなで小学校を卒業し大学に入り今に至ります。

以上が俺の生い立ちです。

 

 

 

 

本題に入りましょうか。

伝えたいテーマは2つ

 

 

 

「レペゼンする事」

「正解」

 

 

 

です。

2つとありますが相互的に絡めて綴りたいと思います。

 

 

さて

皆さんは自分が何かを”レペゼン”していると意識した事はありますか?

 

 

ラッパーのように地元をレペゼンしたり

チームを組んでバトルに出たり

キンカレに慶應代表として出たり

 

っていうのがよくある分かりやすいレペゼンでしょうか

 

 

勿論俺は何にも該当しません。

でも俺は明確にレペゼンしてる物が2つあります。

 

 

1つ目 俺の人生で関わってきた奴等

2つ目 俺自身 です

 

やべえくそ回ってきた

 

 

各価値観が形成された経緯を書きます

ひとつめ

 

 

俺は何の才能も持ち合わせてない、圧倒的な凡人として生まれました。

 

何のスポーツもせずあらゆる娯楽を知らずなんとなく楽しく過ごした小学校時代

 

 

転機は慶應中等部への入学です。

 

 

井上瞳とはそこで出会いました。出席番号的にデフォの席が隣で、くじ引きとかしてもやたらいつも隣でした。

多分慶應初の友達です。

彼女は東京五輪の何らかの競技に於いてダークホースである事は疑う余地もありません。

 

 

当時13歳の自分は自分が何者でもないという事実を嫌というほど突きつけられました。

俺ってなんもねぇなって

 

 

勉強は勿論、運動も、音楽、美術センスもみんなあって。

その中でも一番自認させられたのは

残酷なまでの「圧倒的な人生経験の無さ」でした。

 

 

なんの音楽も聴かず、なんのゲームも持たず、漫画も読まず、スポーツもせず

 

 

放課後は友達と学校の裏山を掻き分け山菜を採り、川に入ればカニや魚を探し鎌で茂みを掻き分け秘密基地を作っていた俺とは慶應内部者が生きてきた世界が違いすぎて愕然としました。

 

 

なんでこいつらはこんなにも人生の楽しみ方を知ってるんだと

たった13年間でこんなに人生に差が出るもんなのかと

 

 

衝撃を受けたことは何回もあるけど、

 

一番は中二で友達のお誕生日を祝う為に、恵比寿を指定され、これが花男の時計台か~クリスマスツリーか~とか思いながら待ってたら貸し切りリムジンに案内された時でしょうか。

運転手も事態を理解出来てませんでした。

 

 

 

でもそんな環境にいて純粋にこいつらかっけーなって思ったんですよね。

 

プロスポーツ選手を見て劣等感を感じないように、そこにあるのはレベルの違いから来る純粋な羨望でした。

 

こいつらみたいになりたいなって全員に対して思いました。

根底的には何にもない何でもない自分は逆に何にでもなれると思ってたのかも

 

 

皆に追いつくには同じように過ごしてたらダメで

 

この時からとにかく色々な分野に於いて勉強し、人よりも多く経験する事を目標にしました。

 

 

バイトを始めて秒単位で金銭的価値が発生するという感覚を得てからは毎秒単位で時間を意識するようになりました。

 

ある種の強迫観念に囚われているのかもしれないですが

この考えはあまり嫌いではないです。

 

 

成長する為には難しいことに挑戦するだなんて大層な働きかけは必要ありません。

 

臥雲も言ってましたが

必要なのは全ての事象に目的意識を持ち能動的に全てを支配するという意識のみです。

 

 

 

幸いロールモデルは沢山いたし、色々教えてくれました。

この時から人の良いとこを探す癖が自然とつきました。

 

 

 

悪いとこ見てる暇無かったです、

一人でも多くから一つでも多く学ばなきゃと必死でした。

 

皆人の悪いところを粗探ししすぎてるように思います。

「他人に甘く、自分に超甘く」くらいでいいのではないでしょうか。

 

それが一番みんな幸せで且つ相乗的に高め合える関係が築けると思います。

 

 

 

 

本当に色々な事を学ばせてもらい、知らない世界を見せてもらいました。

 

 

でもあまり根本的な思いは変わりませんでした。

 

 

小学校までの自分は何にもない人間

中学校からは経験も知識もスキルも得て

確かに成長はして、なんとなく皆にも俺という存在が認識され始めたけど

 

 

俺オリジナルってなんなんだろうっていう根底が晴れなかったんですよね

自分は誰かの個性の切り貼りでしかないんじゃないかって

思春期の青い悩みなんですかね、自分では違うと思ってるんですけど笑

 

 

でもある時ふと

 

 

人は何かの集合体でしかなくて、

 

 

ある人や物事を見てそれがどう映り

どう評価し

どう切り取り

どう取り入れ

どう表現するか

 

 

人間なんてこんなもんで

このアプローチの違いこそが個性であり価値観であり表現の違いが美学なのでは、と

 

 

俺の判断軸は

「おもれーかおもろくないか」

です。これが根っこの俺です。

 

 

 

そこから自分はこれが自分だって思うようになり

周りの人あっての自分だなと改めて感謝出来るようになりました。

 

 

環境次第でいかようにも人は変わります。

ゆうじも言ってたね。

 

 

同時に自分も何か還元しなければと思うようになりました。

 

 

どうすればこんな自分を育て、形成してくれた皆に感謝やリスペクトを表せるかと考え

その末に至った結論は

 

 

「狂信的に熱狂的に人生を全うし

少しでもかっこいい生き様である事」

でした。

 

 

 

 

そこに自己顕示的な要素は一切なくて、皆が与えてくれた価値観やスキルを最大限活かし、

俺が少しでも非凡な人生を歩み、

俺に関わる全ての人間はいけてんだって出会う人に思わせる事が、感謝を告げられる方法だと思ったんです。

 

ちえこと少し考え似てるかな。

 

 

 

だから俺は俺に関わってくれた全ての人の個性や長所をレペゼンし、生きているという意識を常に持っています。

 

 

俺の事を少しでもかっけえと思ってくれたら、

それは即ち俺に関わる全ての人間がかっけぇという証明になるからです。

 

 

もはや自分一人だけの人生ではないんですよね

 

 

色んな人の想いや時間も背負っているという責任感が俺を突き動かす原動力です。

こんだけ育ててくれたのに妥協な人生は歩めないです。

 

 

勿論このノートを読んでいる皆も含まれています。

一人でも欠けていたら今の俺はいません。本当にありがとう。

 

 

そしてそんな自分でも誰かに何か同じように影響を与えられたらな、と少し思います。

俺と出会って何か少しでも感情が動く事があったりなんてすれば、それだけで俺の人生大成功です。

 

 

 

 

 

 

ふたつめ

 

 

 

 

ここから

「正解」

のテーマと少し絡んでいきます。

 

 

一見宗教的な、そして創作上の世界な話になってしまうかもですが

自分は世界線という概念があると思っています。

 

 

生まれ変わりは信じていませんが、同時にあらゆる自分がどこかに存在していると思っています。

違う人生をどこか違う世界で歩んでいる自分です。

 

 

 

きっかけは2つあります。

1つ目は喜多見中学校ではなく慶應義塾中等部に入学したこと

2つ目は高校卒業時の母親の言葉 でした

 

 

 

○慶應入学

 

 

家から徒歩30秒のとこに喜多見中学校ってのがあるのですが、

 

引っ越す際の不動産屋さんに

「お宅の息子さんは絶対にここだけには進学させちゃダメです!」なんて言われ

 

 

親は全く中学受験なんかに興味も無く

 

 

窓ガラスぶっ壊れ、少年院毎年輩出、右翼の親共が駅前で拡声器使って先生の悪口言ってる中学に進学する予定でしたが

普通にあたおかだし俺ここ行ったら流されるな~って思って親に懇願して中学受験を決意しました

 

 

金が無さ過ぎたので、親には今すぐ塾やめていいよって言われ続けたし、塾にちゃんと入れるのは一生で一回だけ、これ落ちたら公立推薦を狙い続けて進学してって言われてました。

 

 

滑り止めも受けさせてもらえなかったんで

慶應行かなかったら人生終わるなー俺

って思いながら勉強してました。

 

 

地元に通ってたらどんな人生だったんだろうって思います。

普通に楽しかったと思うけどね

 

 

 

○母親の言葉

 

 

 

高校卒業時に色んな経緯があって母親に深夜車に乗せられ話す機会がありました。

その時に

 

「あんたは私が働いてなかったら慶應に入ってたどころか、東京に一生縁もなく高校卒業時のこのタイミングで土方とかで働いてたよ」

 

でした。

1つ言っておきたいのですが土方の人を下に見る意図は俺にも母親にも全くありません。

 

 

極論だし公立高校を経て奨学金で国立の大学に入っていた人生もあるとは思うけど

そういう人生も容易に想定できた、という単なる事実であり例えです。

 

 

 

いやーまじ震えました。

でも本当にそうなんですよね

 

 

 

受験させ、学費を稼ぐために親はとんでもなく働いてくれました。

 

 

 

ずっとその姿を見てたからこそ親の人生に於ける時間も想いも背負ってるし、バチバチにかまさなきゃなってさっきの話みたいに思ったんですけど

 

 

 

この2つのきっかけから俺は明確に

違う人生を歩んでいた自分を意識するようになりました。

 

 

この2つって自分一人の努力や選択だけでどうにもならない事なんですよね

 

 

どんなに強く願っても、必死に生きても、この環境に生まれなければ絶対に得られない人生です。

ないものはないんだから不可抗力です。

 

 

 

母親が働いてなかった人生も、たまたま入試で自分が分からない問題がでる入試であることも

当然の可能性としてあった

 

 

となると

あぁこんな環境であればなって嘆く自分も当然いたわけです。

 

 

自分はなんて奇跡的な環境に生まれたんだろうって感謝すると同時に怖くもなりました。

どんなに頑張っても正当な努力が報われない、100%の実力が評価されない自分が何人もいるんですよね

 

 

となると今自分が生きている人生は、

明らかにどの世界線にいる自分よりもぶちかましてる人生にする責任があるって強く思い

ました。

 

 

「お前こんな恵まれた環境にいるのになんでサボってんの?

俺の方がこの環境を使い倒せるから寄越せよ」

 

 

 

なんて他の自分に言われない為には

 

 

 

何回生まれ変わってもこれ越える人生ねぇなって

 

 

って日々思えるように生きることしかないわけです。

 

 

 

例えお前がおんなじ状況に置かれてもこんなおもろくなんないよ 

って心の底からもう一人の自分に言えなきゃなーって

 

 

元々終わってた人生もある中

あらゆる“廣中太一”の最高傑作の人生にするしかないわけです。

 

 

これが俺自身のレペゼン。

 

 

 

「自分の選択を正解にする」

という言葉がありますが、あまりこの考えは好きではありません

 

 

 

何故なら

正解かどうかは他の物と比較して初めて分かることですが、同時に複数の選択を行う事が出来ないから本当に正解かどうか分からないから

 

 

そして人間は本質的に

「自分の選択を正解にしたがる」生き物であると思っているからです。

 

 

誰しもが自分の人生が一番であり、周りの世界が全てであり最高だって思ってしまうと思うのです。

 

 

どんなコミュニティに所属して、どんな学生生活を歩もうが引退の時には

「最高の仲間、最高な4年間だった!」

ってinstagramに投稿したくなります。

 

 

見下してるとかじゃなく、思い出は美化されるものだしそれこそが楽しく生きるコツだと思います。

 

 

そこから分かることは

そもそも正解なんてなくて、全ては自分の自己肯定度に依存するという事です。

 

 

主観的に生き自己肯定感が強いほど人生は幸せだし

客観的な視点を気にし、自らを下に見るほど成長度は増します。

 

 

この2つにも正解はないです。

どちらを選ぶかというただそれだけ

 

 

その中でも俺は敢えて

 

 

「自分の選択を正解にし続ける」

 

 

という価値観を大事にしています。

自分の選択を信じることも大事だし、それを最大限の物にする為には終わることなく動き続けるしかないと思います。

 

 

その為には行動力とか関係ないです。

決意が固いかどうかです。動けない人間は結局覚悟が足りてないだけです。

 

 

死ぬ瞬間に、これを超える人生は存在しないと思えたら幸せだなぁ。

 

 

なるべく自己肯定という感情ではなく、あらゆる根拠を並べた確固たる確信でありたいと思います。

 

 

とはいえ全てを覆すようですが別に俺は

 

 

なにか大層な事を成し遂げたいとか

人に勝ちたいとか

称賛される人でありたいとか

 

 

そんな人間ではなくて、

 

 

異常に楽観的で

一緒にいて楽しいやつとあははって笑ってれば十二分に幸せな人間だし

そこは絶対変わらないなぁ

 

 

繰り返しになりますが

 

 

世の中は

「おもろいかおもろくないか」

の二択だと思ってるし

 

 

「やべーやつとやべーことする」

 

 

って言うのが信条です。

 

 

こんな俺でも唯一誇れるものがあって

「人に恵まれる運」

だけは誰よりも強いって確信してます。

 

 

だから俺の周りには最高な奴しかいないんですよねどこ行っても

 

 

いいでしょー

 

 

俺が今まで書いてきたことも

 

 

結局そういう人生が一番おもろそうだから

っていう一言で済むから

 

 

おもろそうで自分にとってやりたい事しかやってないんですよね

この判断基準で行くと、やりたくない事もやりたい事の過程の一部でしかないからなんでも気持ちよくやれるからおすすめ

 

 

 

人生一回しかないし、やりたいことやろって話です

 

 

 

最後に一つ付け加えるなら

 

 

どうやったら刺激的な毎日になるんだろって思う人がいるならば

 

答えは一つ

 

 

「狂え」

 

 

です。これは有名な一節の内のワンフレーズなんですけど結構くらって。

 

 

世の中には

狂った人間と

凡人しかいません

 

凡人が非凡な人生を歩むには狂いきるしかないんですよね

 

 

「真実などない。すべては許されている」

ハッサン・イ・サバ―の言葉です。

興味ある人は調べてみてね

 

 

 

自分の才能を愛せないなら自分の人生を愛すしかなくて

 

賭けるものが無いんです。人生でいいですかって

ZORNも言ってんだし

 

 

しゅんのテーマに沿うならば

俺なりのHIPHOPであり社会への中指は

 

 

何でもない自分が

「王道の道を行き、王道に成功すること」

です

 

 

色々と書いてしまいましたね

でも意外とちょい長めのコマ責ブログ位です

 

 

後輩は今からでも話しかけてくれたらなって思います。

 

 

三田祭残りわずかですが頑張りましょう。

僕はこれで引退なので出し切りたいと思います。

 

 

自慢の後輩のチャーリーえっけが作るコマ

こんな俺にファスユニまで任せてくれたしゅん鉄平のスぺ

ぶちかまします

 

 

12期Brakeで

敢えて個人名等は伏せますが

9期から15期に関われた4年間で良かったなって心の底から思えます。

 

 

es入りたくなさ過ぎて友達に泣きながら相談してた自分が懐かしめ

 

他ジャンの14期とか

15期とか、ダンス esくそすき先輩Aとして見えてるのかな笑

 

 

三田祭後に同期で飲む酒はきっと美味いんだろうな、

 

 

ま、今まで書いたこと、全部嘘なんですけどね