どうも、順番とかがごちゃごちゃになりすぎて誰からも紹介されませんでした、12期Breakのとしきです。

 

今年の三田祭はBreak、Hiphop、Break sp、けんしん曲に出演してます。柄にもなく忙しくさせてもらってます。笑

自分の言葉で考えすぎず書きたかったので、風呂入って歯も磨いて寝る準備万端だったのに、敢えて黒ラベル500mlを片手にこのブログを書きはじめました。

現在午前5時前。書き終わるまで寝ません。

 

いやーそれにしてもブログというのは良いものですね。同期だけどお互いのことを滅茶苦茶深く語り合ったりはしないので、「コイツこんなこと考えてたんだ」ってのがビシビシ伝わります。

特にゆうじとか臥雲とかはめっちゃ喰らったし、前回書いた太一とかは魂を感じました。

あと意外と考え方似てるんだなって思ったりもしました笑

かいのダンスで目立ててない分何かしらでesに存在価値を見出したいだとか、ちえこの誰かのためにって考え方とか自分と似てますね。

 

さて、前置きはこの辺にして本題に入っていきます。ブログを書かせてもらう機会なんてまたとないので①ちょっと長い自己紹介 のあとに②esとダンス③esと仕事って感じで書いていこうと思います。

あくまで自分の価値観とか考えの共有なんで、誰かに影響を与えたりエモくさせたりはきっと出来ません。自分は面白い人間ではないので読んでて飽きるかもしれませんが読んでくれたら嬉しいなあ。

あー黒ラベルがまわってきたw

 

①ちょっと長い自己紹介

22年前の夏、川田家の三男としてこの世に生を受けました。知ってる人も多いとは思いますが、双子です。今考えるとこいつが俺の人生なかなかに左右してるなって思います。ちなみに教室公演初日に来るらしいので、黒くてデカいとしきさんぽいのが並んでたら多分そいつです笑

 

生まれは蒲田という東京のスラムです。よく月曜から夜◯かしとかで取り上げられてバカにされますが、良い街ですよ。汚くて臭いけど。

生まれて間もなく父の仕事の影響でアフリカに2年ほど行きました。記憶はありませんが、いい経験させてもらったようです。ちなみに赤子の僕はめちゃ可愛いです。笑

 

帰国して1年、次はミクロネシアという国に行きました。ぼんやりと記憶があって、家の目の前が海だったのは覚えてます。ウミガメとかを飼ってました(どちらかというと保護)。

さらに帰国して3年ほど、今度はバヌアツという国に行きました。ここでは差別されたりして必死に生活してました。英語も完全に忘れていたので、双子の兄に頼りまくりました。ここで今の陰キャコミュ障の自分が形成されました。

 

帰って来てからは中学受験に失敗して、地元の公立中学に通って高校受験で塾高に入りました。ここでは乃木坂に大ハマりし、ペンライトをぶんぶん振りながら3年間過ごしてました。笑

陰キャながらも男子校生活は性に合って楽しかったです。

部活は小中でソフトテニス、高校ではトランポリン部の主将をしてました。こんなゴツいのがぴょんぴょん跳んでました、言われたら動画観せます笑

 

趣味は料理です。まあ分かりますよね笑

料理が出来るのは海外いるとき手伝わされていたのと、高1から厨房でバイトしていたからだと思います。あと好きだから。

bboy、bgirlでもそうでなくても声掛けてもらえれば喜んで作ります。

恥ずかしいし一人暮らしではないので、自分から声掛けることはあまりないかも。でも同期がもうすぐいなくなるので、今は同期に振る舞いたいです。

 

そして大学生になり、現在に至ります。言うてそんなに長くないかも。笑

 

 

②esとダンス

僕が今Breakで目指しているのは、ストロングスタイルというものです。実はコレを目指すにあたってしっかりと経緯があります。

 

ダンスにハマったのは中2の初めくらいです。テレビでR.A.B(リアルアキバボーイズ)というオタクだけどめちゃめちゃダンスできる人たちを観て、オタクでもダンス出来たらこんなにカッコいいんだと思って動画とか見始めました。いわゆる厨二病ってヤツです笑

でもいつもは飽き性な僕でも、ダンスだけは飽きることが無かったんですよね。だから最初は動画だけですがめっちゃ観てました。Break以外にも若干の知識があるのはこれのおかげですね。

 

こんな感じで知識がある程度ある中でesに入って、高校の部活で倒立をやっていて倒立に若干のアドバンテージがあったのでそれをひたすら練習してた時、11期のしょういちろうさんという人に「ストロング似合うよね、やってみたら?」と言われました。

その後ストロングスタイルを調べてみると、今まで観た動画の中で一番喰らった(未だに更新されていません)Bboy Juniorという人物が一番に出てきました。

その人のダンスを観た時、こういうことがしたいと思うようになり1年の4月から練習し始めました。

 

突然ですが、僕がつけてるネックレスを見たことはありますか?KOOLってやつです。実はアレは売り物ではなく知人に作ってもらったものです。なんでCじゃないの?ってよく聞かれるんですけど、これには深い意味があるんです。

3年前の三田祭、10期の作る三田祭Breakのショーのタイトルが「OLD SKOOL NEW KOOL」でした。このKOOLからとってネックレスを作りました。

 

当時のコマ責だった光さんは、三田祭のメッセージカードでこんなことを書いてくれました(以下抜粋)。

 

「OLD SKOOL NEW KOOLのKOOLは 

Keep Only One Love の略でもあるんだ

オレはbboyingへの一途な愛を忘れたくない、絶対に としきにもそうあってほしい 

どんなダンスしててもマインドがbboy

ならオレはbboyだと思うからさ」

 

es入って間もなく自分のスタイルを固めた自分にとっては、とても偉大で、素敵で、かけがえのない言葉となりました。そしてそれを座右の銘にしてダンスしていこう、生きていこうと考えたのです。

 

ストロングスタイルというのは、センスもあるとは思いますが何より時間がかかるものです。KOOLを座右の銘にした僕はとても伸び悩みました。その時の努力不足と言われればそれまでですが…

 

2年生になり、後輩が入り、クライベ矢上を経て2度目の三田祭が来ました。その年、es史上初めてのBreak spが誕生しました。オーディションを受けましたが、同期が4人受かってる中落ちました… なんとなく分かってはいたけど、なかなかこたえました。

この時、自分のダンスに自信がなくなりました。俺はなんでこんな遠回りでコスパの悪いことしてるんだろうって思いました。

 

でもspオーデのフィードバックを聞いた時、としきは仮に他のスキルが多少疎かになってもこのままいってもいいと思うと言われました。また、コマの方で11期のけいさんとこまつなさんが僕にソロを与えてくれました。

大学始めの2年目でソロをもらうのは今では当たり前のようになっていますが、当時は10期光さん、ゆーだいさんに次いで2回目のことでした。spに受かってたさとしもソロは無かったです。

あとでこまつなさんに聞いたら、「としきならカマしてくれると思ったからソロを与えた」と言われました。正直本当に本当に嬉しかったです。そしてその時初めて自分がやってきたことを肯定できました。

 

本当は、コマ責とか代表とかやりたかったから、一般的に上手いやつになりたくて、他の練習もしようか考えたりしました。でも、自分が真にやりたいことに嘘つきたくなかったので、自分がやりたいことだけやりました。

 

 

 

っていうのは嘘で、本当は変わる勇気が無かっただけです。自分がずっとやってきたこと変えたくなかったんです。その点でいうと、ジャンルを変えてからコマ責やってるいっちゃんとか、けんしんとか、あやとか、ひなことかは本当に尊敬してます。

 

でも今は、自分のことを誇りに思っています。esでストロングスタイルをここまでもってきたのは自分だけだから、俺にしか出来ないこといっぱいあるから。

 

散々遠回りしたけど、伝えたいのは『KOOL』という概念です。決して自分のようになってほしいわけではないけど、こういう道もあるんだよってことを険しい道を通ってきたなりに伝えたいのです。てかそれしか伝えられないだけなんです。

 

 

③esと仕事

ブログあほみたいに長くなると思っていたのですがもう終盤です。意外とすぐ終わりそう。

ブログ書くにあたって俺にしか書けなそうなこと何かなって思った時に、KOOLの次に仕事が出てきました。

正直に、12期の中で一番仕事をしてきたのは自分だと思っています。(仕事が出来たとは言っていない)

そんな僕のぼやきだと思って読んでください。

 

1年の時はバミレン、2年の時は備品、3年の時は三田祭係として働いてきた身として言います。esは、全てで成立していると思います。去年はもねぷさんもおんなじ事言ってましたね。笑

 

つまりどういうことか。コレは仕事で例えると全てボランティアで行われているということです。esには色んな仕事があります。施設係、企画部、合宿係、バトル部、追いパ係etc…

 

こういう仕事をする人たちは少なからずesに愛があるから出来ると思っています。なぜなら報酬が無いから。

少なくとも僕はそうでした、本ブログの序盤にかいと共通する部分で書いたやつです。11期コマ責がソロをくれる前、僕は仕事でやらかして酔っていた時、けいさんにこう言いました。

 

「ダンスで貢献出来ない分仕事では貢献したい」

 

と。

今考えるとダンスもっと頑張ればええやんと少し情けない気持ちになりますが、僕は本気で思っていました。

逆に言うとそのくらい仕事を本気で取り組んでいたし、仕事で居場所を見つけようとしていました。

 

でも実際にダンス面で見せ場をもらってからも、この気持ちは消えませんでした。その時気付きました、僕はこのサークルが、同期が好きなんだと。

だから自分が貢献できるならと三田祭係をやらせていただきました。楽しかったけど、それを遥かに上回るほど大変でした。

 

こうして仕事をしていくうちに分かったことは、esは多くの人が働いて成り立っているということです。例えばドライブに行った時自分が運転せずに後部座席で寝ていたとするじゃないですか。そういう場面っていっぱい見られると思うんですけど、それが実現するのは皆が寝てる中運転してるドライバーの存在があるからなんです。

 

何が言いたいかと言うと、自分がラクしている時は大抵誰かが働いている、ということです。

教室公演の合間に、三田祭係が少しリラックス出来るのもお客様対応係の皆が働いてくれているからです。

三田祭まであとほんの少しです、今年の三田祭係も頑張っているので協力してあげてください。

 

でも最近esにはそんなが枯渇していると思います。

愛は偉大です。これがあれば大抵のことは乗り越えられます。コマ生の遅刻もコマ責への不信感も愛で全て解決できると思ってます。

ダンス、というかhiphopの世界では「respect」という概念が存在しますよね。えーすけもコマ責ブログで書いていました。

 

でも自分は、それは愛の延長線上にあると思ってます。

愛をもってその人のことを見るから、その人の良いところが見えてきます。そしてその良いところを見てリスペクト出来るようになります。そうやってこの概念は出来上がってると思います。

 

最近の皆さんはどうですか?自分さえ良ければいいと思っていませんか?

別に仕事をしろとは言いません。300人規模の組織で全員が仕事をするのは不可能です。ただ、愛は与えてから初めて返ってくるものだと思います。人のことを愛せないやつは愛されないと思います。延長線上であるから、他をリスペクト出来ないやつはリスペクトされないと思います。

 

皆には誰かを愛してほしいし、愛される人であってほしいです。俺は家族に、先輩に沢山愛を注いでもらったからその人たちを愛するし、それを下の代へ引き継いでいきたいです。

そして誰よりも同期を愛しています。だからこそ去年は三田祭係やったし、就活あるけど公演出ようと思ってます。

そんな愛をもって残りの三田期間を、残りのes生活を過ごしていってほしいです。

 

 

 

終わりに

 

ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。

現在午前7時50分、所要時間約3時間、所要ビール2L、STUTSの夜を使いはたしてfeat. PUNPEE

が気持ちいい時間です。

ブログを書いてて思ったのは、esに入って良かったってこと、12期で良かったってことですね笑

そして皆書いてるけど、12期Breakで良かったです。今年の三田祭で終わりだけど、来年もいっぱいいるし、これでお別れとは思っていないので寂しくはないです。

まあ最後に旅行はしたいですね、俺は北海道に行きたい。笑

 

なんかめちゃめちゃで纏まりのないブログになってしまいました。まあ俺らしいですね笑

 

-est 2019もすぐに終わります。この1週間は後悔の無いように過ごしましょう!

さて、お次はrep.理工学部情報工学科、俺とは真逆のダンススタイルなフットワーク大好きサイコパスなアイツの登場!

きっとまだ書いてないからこの紹介いけるはず…

 

それでは僕は寝ます。

皆さん、良い一日を…