佐世保という街に生まれて。私たちの断腸の思い。 | 英語よみきかせの講師育成。英語で世界の絵本を紹介するDJ!Ms.Miyuki

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ブログに書くような内容かどうかわからないのですが。

私は生まれてから大学入学で実家を離れるまで佐世保で育った「佐世保っ子」です。

今回の再びの惨劇を語る前に。

佐世保という街の持つ歴史の成り立ちの特異さをつくづく考えずにはいられません。

松島や、で有名な景勝地松島に勝るとも劣らないほど美しい海に抱かれた街ですが、リアス海岸の複雑な地形のせいで、元来は有史以来海とともに暮らす小さな集落が点在するような、のんびりとした場所であったはずの街です。

その佐世保を変えたのは、明治政府。近代の軍備を整える時に主要な軍港のひとつとして選ばれたこと。

そして軍備とともに造船という大きな産業が、政府によりもたらされました。

当然ながら人口は急増。それがもともとは大きな都市ではない佐世保という街が、地方都市のご他聞にもれず人口流出を抱えながら、今でもそれなりに多くの人が住む大きな理由です。

第二次世界大戦では満州からの引き揚げ船が到着する港であり、多くの人がここを通って日本各地へと旅立っていったという歴史もあります。

もちろん終戦後も米軍の駐留地としての価値は今まで途切れなく続いている、港町です。

変化はいつも否応なく、外から強制的にやってくるもの。しかも、圧倒的なパワーで。暴力的に。

それが佐世保っ子の見る心の中の「日常」です。

江戸時代が終わり、近代に入ってから今の21世紀に至るまで、その時々で政治のパワーゲームに翻弄されることしばしば。

その街の中で暑苦しい思春期を過ごした経験のある私たちには、今回の事件を語るどんなオピニオンリーダーやパワーブロガーのしたり顔のご託宣も、本当に本当に空疎に思えるのです。