横浜の中学生が修学旅行で被曝体験のある方の貴重なお話を聴くときに、心無い言葉をあびせたという事件を聞いて思ったこと。
私は長崎県の佐世保市出身。家族に被曝歴はありませんが、子どものときから折に触れ学校教育の中で「平和教育」を施していただいたことには、政治信条など一切関係なく、感謝の思いがあります。
おそらく、中学生にしてみれば心浮き立つビッグイベントであるはずの修学旅行。アミューズメントパークなどがすっかり定番になった「仲間との思いでづくり」で、楽しいことが山モリモリのはずの修学旅行。自分にとって「興味ない」被曝者のおはなしは、その貴重な(?)時間を浪費するものと映ってしまっていたのかもしれません。
その「いらだち」は、本来なら「修学旅行」で平和を考えるという貴重な機会を企画した「学校」そのものが受け止めるべきものであったでしょう。
これから語られるお話しに、聴く準備の全く出来ていない子どもを連れていって、とにかく話を聴かせてほしいという「おまかせ」な態度は無かったのでしょうか。
そう感じたのは、ニュースで明らかになった断片的な事実によるもの。「死にぞこない」とはたいした言いぐさですが、それに抗議した手紙を受け取っても校長はすぐに自分から対応することなく、さらに電話を受けてからやっと謝罪をしたというのです。
なんともいえない怒りがこみあげてきます。
せめて、事前に「年々高齢化が進む被爆者の直接体験を拝聴できるのは、とても貴重な経験である」こと、
「何年たってもありありとよみがえる恐怖の体験を人前でお話しするのは本人にものすごい苦痛が伴うことであるにも関わらず、それを共有してくださる勇気をお持ちである」こと、
そのことを子どもたちが知らされていたうえのことであったら、そこに居合わせたすべての生徒、教員にとって実りのある時間になったはずです。
この校長先生には、本当に、「旅行会社の企画でして」とかではなく、どうしてこのような修学旅行を企画したのか、そこで考えたことは何なのかを、自分の口から語ってもらいたい。そのくらい大きな出来事のように、私には感じられます。