佐多稲子といえば、日本共産党の中でユニークな位置を占めた女性。
でも、長崎市ゆかりの女流作家という以外、この本を読むまでは詳しいことは知りませんでした。
おそらく、高校の現国の授業のどこかでエッセイを学んだでしょうか。教科書に載っている作家は現代といっても評価の確定した人ばかり。読書好きな当時の高校生の私に面白さが伝わったかと言えば、はなはだ心元ありません。
複雑な生い立ちから、ひょんなことで東京へと家族で移り住み、文壇に知己を得て「働く女性」として、日本共産党に関わったという一風変わった人生を歩んだ方であったようです。
子どもの頃をすごした稲子の長崎の思い出話は、年齢的には私の母ではなく祖母の時代のもの。でも、亡母の思い出に出てくる街並みの様子や、長崎ならではの異国とのつながりなどには共感させられるものも多かったです。長崎はやはり、今も昔も変わらず、特別の街。どこにも似ていない街、なのです。
なにより、稲子が自分の祖母と一緒に写っている写真。利発そうな涼しい目元は、いかにも意志が強そう。そして、自分を可愛がってはくれなかった気の強い祖母という人の、これまた気の強そうな引き締まった顔。他人に「おばあちゃん」などと気安く呼ばせはしないような気迫に満ちています。
私の母がたの祖母は長崎市内の出身ではなく五島の島の人なのですが、よく似ています。ふくよかな母に似ていない、痩せて厳しい顔をした祖母でした。
子どもの頃に自分のためにオルガンを買ってもらったという母の長崎での暮らしは、戦争の不自由さはともかく、貧しさとは無縁であったようです。しかし戦況の悪化で彼らの家族は、島への疎開を決断。それは実は長崎に原爆が投下される前の日のことだったと聞いています。
疎開先での第一報で長崎の何もかもを無くしたと悟った家族。命あってのものだねではありますが、その後家族は経済的にも困窮していきます。
あれほどの人の運命を変えた原爆にまつわる、ほんのささやかなアナザーストーリーです。
ただその母と私のつながりを思うと、「くりかえされたあやまち」への無力感で心かいっぱいになってしまうのです。