【訃報に思う】伊良部秀輝42歳、異郷に死す。 | 英語よみきかせの講師育成。英語で世界の絵本を紹介するDJ!Ms.Miyuki

英語よみきかせの講師育成。英語で世界の絵本を紹介するDJ!Ms.Miyuki

心まで伝わる英語絵本の読み聞かせで、本物の英語力を育てます@神保町+オンライン講座。子ども英語講師の指導力と英語力を上げる・英語絵本コノサー講座のトレーナーMs.Miyukiのブログです。英語で子どもと笑おう。楽しく世界の絵本を英語でご紹介!!

私は伊良部投手と同じ1968年生まれです。

小学生のころ。

テレビでアメリカのディズニーランド(アナハイム)の情報をリポートした番組を見て、「一生のうちに、あそこに行けることがあるだろうか。」と思っていました。1970年代のこと。

そのころ九州に住んでいた私にとっては、海外というのは、当時は十分に遠く感じた(また実際にそうであった)東京に出てさらに成田に行き、飛行機に乗っていく「行ってみたいな、よその国。」観光で海外に行く大人など、裕福な生活をしている中にもそうは存在しなかった頃のこと。

富裕層ではない日本人に海外旅行が一般化したのは、やはりバブルの時期のことと思います。そうであっても、地方に住む小学生が運よくディズニーランドに連れて行ってもらえるとして、21世紀の現在でもやはり東京ディズニーランドがスタンダードではないのかな。地元の友人などに話を聴いても、子どもと一緒に東京ディズニーランドに行くとなると相当な負担。日帰りなど不可能なのですから、それはそうですよね。そのうえでの海外のおはなしです。

バブルで海外にあふれだした日本円の後始末のように、大量の海外駐在員が日本を離れて行った90年代の終わりに、私も縁があってしばらくカリフォルニアに住むことになりました。

ディズニーランドのあるアナハイムは、LAカウンティのお隣のオレンジカウンティ。ですが、クルマ社会のLAではグレーターロスアンジェルス、まあ、おおざっぱに言ってLA。通勤だって可能ですしね。
このグレーターロスアンジェルス、在留日本人の数は今も世界最大だと思います。とにかく、日本人が日本人であるままに快適に過ごすことの出来る場所です。

そしてそこにしばらく住んでみて、気が向けば毎日でも「あの、ディズニーランド」に行くことが出来る生活となりました。

時々小学生だった自分のことを思い出しては、こんな未来が待っているよ、と、あのころの自分に言ってやりたいような、何かしら不思議な気持になったりもしました。

ディズニーへの愛着がそのままに大人になっていたのなら、毎日ディズニーランドもありえましたよね。実際に行ったのは2回です。

ディズニーランドと私をつなぐもの。

私の子どものころに比べて、地球は本当に小さくなりました。

そしてLA。

今回伊良部さんの終の棲家となってしまったあたりのことも存じています。どのような生活をなさっていたのかも、失礼ながらおおよそは見当がつきます。

そうは言っても異国の地。どのように快適な暮らしがあっても、あそこは日本ではありません。

その異国の場所で、壮年の彼が、自ら命を絶つという決断をしてしまったこと。

悲しすぎます。

本当に、悲しすぎます。