日本人で英語に関わる人間であれば一度は必ず読んで欲しい本。短編集の表題にもなっている本編は、短いお話です。
終戦後まもなくの本でありながら、今に通じる普遍性を感じるのはさすがは芥川賞受賞作品。
耳からのインプットも口から出す訓練も与えられないまま、もっぱら眼からの情報だけで外国語を理解するという教育が、この国では伝統的に認められてきました。
これにはもちろんいろいろな事情もあったはずですが、そのため日本での英語教育が完全とは程遠いものであったことは事実として認められるところかと思います。
もちろん、日本に居て英語で発表された最先端の情報を取り入れるというためだけであれば英語の文献を漁りこそすれ”ナマの”外国人と話す機会などなかったわけですからそれで充分との考えもあったでしょう。
ところがそのように英語に”精通している”はずの英語教員が、終戦後の時期に英語で”話す”ことを急に求められたときの複雑な気持ちが、短いお話の中に鮮やかに書き込まれています。
日式の発音(つまり日本人同士でしか通じないほど強いアクセントで発語される英語)で、教育のある上流階級が親しんだ英文学などの中の言い回し(しかも旧い!)の文語で話すというような状況。
しかも話す相手はアメリカ人のオフィサーであったり、アメリカンスクールの教師です。
あるものの困惑。あるものの高揚。
日本に駐留しているアメリカ人の子弟が通うアメリカンスクールで、”アメリカ人に我々の(アメリカ人以上の!)英語教育の素晴らしさを見せつけてやりましょう。”というような空回りの自信や、一方で英語を話すことにアイデンティティの不安を感じる弱い心。
劣等感と優越感がないまぜになった、なんともいえない苦い状況。
それが、今60年以上の時を超えてもありありと私たちの目の前に浮かんできます。
先進的な英語教育を受けてこられた英語エリートは別として、通常の英語教育を受けてきた経験の私のような人間には少々苦いお話ですが、これを通り抜けないで英語で物事を伝えることなど出来もしないし、まして教えることなど無理なお話。
私は昨年くらいに新潮文庫で手に入れました。
日本人の、他の英語教育関係者の方の感想もぜひお聞きしてみたいと思います。もしお読みになった方は、ご感想のコメントをお待ちしておりますね。この本へのご感想であれば、どのようなコメントも歓迎です。