高1の頃、
現代国語の授業で、
先生が、
「テレビを一日中見続けてみて、
テレビとは消すものである
ということを知った。」
と言っていたのを
何故かよく覚えている。

あの当時、
1974年だから
ちょうど50年前になるが、
テレビが
見過ぎて中毒になるツールであったことが
ちょっとした社会問題だった気がする。

50年後の今、
それは、
そっくりそのまま
スマホに置き換わった。

スマホとは
できるだけ見ないようにするものである。
と言えるかもしれない。
デジタルデトックスなんて言葉もある。
50年前には存在しなかったワードだ。

スマホを置いて
その代わりにやることが
読書であると思う。
なんでもいいから
活字を読むことは
自分の栄養になるのは間違いない。

それは、なにも
小説を読んで感動することとは限らない。

歳をとると
今更小説ごときでは感動できない。

例えば、
読めない漢字が出て来て、
それを調べることで
新たなボキャブラリーを増やすことも
しかり。

この歳になっても
未だに知らない漢字の多いこと。

戦後教育の弊害とは言いたくないが。

ただ、
それを調べるのにスマホが必要なのは
なんとも皮肉なものであるが。

要は、
調べたついでに
ついショート動画を見続けたり、
ゲームをやってしまったり、
(私はこれは絶対にないが)
余計なことをしない勇気が大切なのだ。

読書が有益であることは
今では常識なものの、
テレビがなかった戦前の日本では、
子供が本ばかり読んでいることが
当時の親たちの心配事であったという。
本しか楽しみのなかった時代ならではである。

常に、
新しいツールは
人々を中毒にするものらしい。

いつの時代でも
共通した課題は、
自己管理に尽きる。