BGM:テン・イヤーズ・アフター「I' ve Been There Too 」
先日、新宿西口で古本市をやっていたので、ちょっと寄ってみた。
ふと、以前から気になっていた1冊の本を見つける。
「洪思翊中将の処刑」(山本七平著)という本である。
即購入したものの、ぶ厚いので、まだ読んでいない。
やはり、自分は読書が苦手らしい。

洪思翊(こう しよく、ホン・サイク 1889~1946)中将とは、
当時、朝鮮人でありながら、
第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の中将にまで上りつめ、
戦後は、日本軍のB級戦犯としてフィリピンで処刑された人である。
1905年の日韓保護条約締結後に大韓帝国の陸軍武官学校に入学。
1909年陸軍武官学校廃止によって、
日本の中央幼年学校を経て陸軍士官学校に進む。
1910年日韓併合により、
抗日独立運動に走る朝鮮出身の級友がいたが、
彼は、今決起するのは独立に繋がらず、
もっと実力をつけてからにすべしと、
その時は、級友たちと行動は共にしなかった。
その後、中国戦線などを経て、
1944年に、フィリピンの捕虜収容所の所長となり、
中将に昇進し、やがて終戦を迎える。
マレーの虎といわれた山下奉文大将の部下であった。
戦後の、連合国軍によるフィリピンでの戦争裁判で、
捕虜収容所の所長時代に、
食糧不足のため捕虜に十分に食糧を供給できなかった責任を問われ、
結果的に死刑となった。
(・・・死刑になるほどの責任でもないと思うが。)
その際、自分に関する弁明は一切せずに沈黙を貫いた。
それでいて、
他の戦争被告人を弁護する証言は積極的に行ったという。
(・・・山下大将は、ややジタバタしたらしいが。)
朝鮮人でありながら、
日本の軍人として責務を全うし敗戦すれば、
何の抵抗もせず死を受け入れるという、
複雑な心境ながらも、
その、あまりにも潔い姿には敬服せずにはいられない。
しかも、創氏改名をせず、本名で通したことでわかるように、
内心では、祖国朝鮮に対する確固たる誇りを持ち続けていた。
息子の国善氏に対しても、
「どんな時でも必ず、
『私は朝鮮人の洪国善です。』と、はっきり言いなさい。」
と、教育していたという。
彼の朝鮮人としての誇りがホンモノだったからこそ、
こういう潔さが出てきたのではないだろうか。
いやあ、こういう姿を見せられると、
この一人によって、
韓国人は日本人よりも一枚も二枚も上だなあと思うではないか。
しかし、独立後の韓国では、
洪思翊中将は、親日派として糾弾の対象となった。
長男の国善氏は、朝鮮銀行に勤務していたが、
李承晩大統領の直接命令により辞職させられたという。
ああ、大韓民国の、何という心の狭さ。
こういうのは、愛国心でも何でもない。
国がこういうことすると、
「あ~あ、やっぱり韓国は。」
って言われちゃうんじゃないのかな。
戦時中のエピソードとして、
ある時、
息子の洪国善氏が、
朝鮮出身の脱走兵を家にかくまっていたことがあり、
そこに憲兵が捜索にやって来た。
しかし、
中から軍服を着用した洪思翊中将が出てきたら、
驚いた憲兵は、あわくって逃げ帰ったという。
これ、韓国人にとっては、ずいぶん痛快な話だと思うがね。
この点、当時にあって、
朝鮮人でありながら、
一瞬でも日本人を(・・しかも憲兵を)屈服させているという事実は、
彼がかつて言っていた、
「実力をつける」ということを現実化しているとも言えて、
他人事ながら頼もしく思える。
逆に、たとえ相手が朝鮮人であっても、
上官に対しては絶対服従する日本人の精神も、
そこには、「差別」が存在しなくて、
私は好きなんだがな。