「國破れて マッカーサー」 西 鋭夫著
第三部 終わらぬ「戦後」の始まり
「日本の歴史をもう一度見直そう」 「神話も御伽話も日本歴史文化の
大切な生命の一つである」 「戦争で亡くなられた英霊に、国として敬意を
払うべきだ」と発言する人たちを、「右翼」と罵倒し、侮辱して当たり前だと
思っている人たちが、現在多いのではないか。
イデオロギーの違いを問答無用で迫害すると、その刃は必ず「己の身」を
斬る。
朝鮮戦争の「特需」に酔った日本国民が、祖国の防衛を他国の軍隊に
任せた国民が身に付けたものは、責任回避の悪癖である。日本は、日本国民が
護らなければならないという責任の回避。日本の男が、日本の女性・子供を
護る本能と責任からの逃避。その義務の回避。その誇りの皆無。
完璧な敗戦、そして敵軍による占領という二重の屈辱に耐えていた日本国民を、
突然救った「朝鮮特需」という狂宴は、恥辱を忘れさせてくれる薬(ヤク)であった
のだろう。
その甘い香りを持つ薬を無我夢中に追いかけ、日本国民は「昭和」を駆け抜けた。
過去を忘れ、歴史を捨てて、世界第二位の経済大国の日本がやっと辿り着いた
ところは、「富」だけしか目立つものを持たない文化不毛の小さな島ではなかったのか。
教育・文化・政治・経済・産業・メディア等、ほとんどの分野で東京裁判史観
(自虐史観)が、今日まで生き延びている。
日本独自の共同体意識が薄れ、価値観の多様化、グローバル化の合言葉
の下、私たち日本人はバラバラにされ、アイデンティティを失いかけているようだ。
何を頼りに生きていくべきか?
それには、私たち一人一人が自分の頭で考え、揺るぐことのない国家観・歴史観
を持つこと以外になかろう。