聖子ちゃんと沙也加のことをとても考えてる | 闇を愛するアラフィフニート主婦の日常

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旦那と2010年生まれの息子と暮らしてます。
2013年にパート勤めを辞めて以来
「さして働かず、さして家事せず、さして子育てせず」をモットーに
不謹慎でネガティブな日々を送っています。

BGM:生まれてはじめて

 

特に沙也加のファンっていう自覚はなかったんだが

アナ雪関連は以前から好んでちょいちょい聴いていたので・・・

 

こんだけ生命力に溢れて

抑えきれない喜びを歌う人が、という思いはある。

 

俺はミュージカルをさして好むわけではないので

沙也加以外のそうした人々に詳しくはないのだが

この表現力は普通にマジすげぇよな、と

生きてても死んでてもそう思う。

 

ちょっとした息づかいとかから

気持ちが全部歌に乗ってる。

 

沙也加がNYで、イディナ・メンゼルに英語でインタビューしつつ

出場した紅白は、当時もとても感慨深いものだった。

日本の会場で一緒に歌う聖子ちゃんの姿含めて。

 

前にも書いたけど、もうあの一家はわしの中では皇室レベルなのだ。

あの人たちが何をしてもしなくても、正解しかない気がする。

最近はむしろ、本家皇室の方が叩かれてる印象(;´Д`)

 

聖子ちゃんの全盛期を知らず、沙也加を入り口にしてあの一家を知った人には、ピンと来ないだろうが

あの時代でも聖子ちゃんはすごかったけど、連日の報道で振り返ってみても

聖子ちゃんの後にも先にも、ああいう人が居ないのを、改めて知るだけだ。

 

聖子ちゃんは、どこからどこまで聖子ちゃんなんだろう。

デビューの時から聖子ちゃんではあったが

人前で見せる「松田聖子」というかぶり物と、本人の見分けがもうつかない。

そもそも、そんなかぶり物なんてないのかもしれない。骨の髄までずっとどこまでも聖子ちゃんなだけなのかもしれない。

 

聖子ちゃんの歌、発言、仕草、色々なんやかんや

今回の件ですら「ものすごいプロ根性だ」とも思わせられるけど

いちいち抜き出して書くべき、プロ根性すらないんじゃないのか。

360度どっから見ても聖子ちゃんなだけで、プライベートとオフィシャルの境目が

遠くから観察してるこっちには、何一つ見えない。

 

骨壺を抱いて会見する両親なんて、もう後にも先にも今回限りだろうと思う。

マスコミをスルーすることだってできただろう。でも短い時間でも会見をした。

やっぱりその様子の印象は、わしの中のこれまでの聖子ちゃんと、さして相違ない。

 

とはいえ、あれをスルーしてもしなくても

あそこで長々と話をしても

何なら歌い出したとしても

 

聖子ちゃんなら全部が正解になってしまう。

皆を納得させることができる。

 

なんでそう思うかと言うと

彼女はこれまでにも、数々の火種を持ってたが

すべての一連に対して、一切言い訳をしてきてない。

 

若かりし頃、アメリカでジェフとの不倫が噂され

証拠写真と言われてもしょうがないものを、たくさん抑えられ

ジェフが赤裸々な暴露本を出した時ですら

彼女自身の言葉で、何か説明や言い訳をしていた記憶が、わしにはない。

 

全部その後の仕事で黙らせてきた。周囲のさえずりを。

何も語らず、聖子ちゃんであり続けた。

だからわしは、聖子ちゃんが何をしても

わしはそれに対して納得しかしないと思ってる。

そういう、言葉で語らない説得力が、何でかあるのだあの人には。

 

そこまでのパワフルな母を持ってしまった沙也加の育ちは

これまたきっと、唯一無二で。

 

聖子ちゃんをメインで見てきたわしなんかに語られても

沙也加はきっと嫌だろうなぁと思いつつ

わしの中ではもう、たとえば友達の子ども見てるような感覚で、存在を把握してた気がする。

 

「あらー、沙也加ちゃん大きくなったわねぇ!」

「ますますママに似てきたねぇ!」

 

なんて言葉を、例えば友達の子ども相手なら

わしらは普通に投げかけないだろうか。

なんかそーゆーノリなのである。申し訳ないけど。

 

聖子ちゃんと沙也加の間にも、確執があったりなかったりしたのだろうけど

あの二人ほどスケールがでかくなかったとて

母と娘ってそういうもんなのだ。なんかドロドロに傷つけ合ってくっついたり離れたりするんだ。

 

ただ、時代背景を考えれば

聖子ちゃんの全盛期は、まだたくさんのことがざっくばらんで

今みたいに、良くも悪くも他人の言動に繊細な反応をするというのは

表立ってはなかった感じだ。

 

ここ連日よく流れる、過去の映像を見てても

アイドルの出産で、あそこまで詰めかけるファンは、今の時代あり得ないし

生まれた沙也加をして「五体満足で健康な子で良かったです」という聖子ちゃんのコメントも

今なら炎上のネタになり得る気がする。

 

沙也加はそんなセンシティブな世の中を

偉大な母をバックグラウンドにしながら

あれだけのすごい仕事をしてきた、ていう事実がもうすごい。

 

本当は誰でも、何をしても正解なんだけどね。

言い訳しないで、相手が飽きるまでほっておくか

相手が黙り込むほどの結果を出すために、粛々と自分のことに集中するか

どちらかしかないんじゃないのかな。

 

というのを、こんな局面でもまた

聖子ちゃんの生き様を通じて知る。

 

一連の報道に対して「もうほっといてあげてください」なんていうコメントも見るけど

それなら「ほっといてあげてください」なんて言葉すら発さなければいいんじゃないだろうか。

 

わしはほっとかない。

自分の考える材料にしたい。

そしてそれを、あの家族へのはなむけなんて、ちっとも思っちゃいないw

(勝手にはなむけられても、俺のことなんて知るよしもないしww)

 

それだけ興味があるからほっとかない。

魅力があるから興味がある。興味があるから考える。

全部を自分の肥やしにして、わしはわしで進撃する。

 

そのBGMにはこれからも

聖子ちゃんの曲も、沙也加の曲も、たくさん登場する。

聴いて胸が痛くなったりなんかしない。ただただすごい才能にありがとうと思い続ける。