渡辺美里のヒリヒリ感 | 闇を愛するアラフィフニート主婦の日常

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旦那と2010年生まれの息子と暮らしてます。
2013年にパート勤めを辞めて以来
「さして働かず、さして家事せず、さして子育てせず」をモットーに
不謹慎でネガティブな日々を送っています。

BGMは、美里のアルバム「ラヴィンユー」です。

 

デビュー間もないのに、2枚組で

ほぼシングルなしの、攻めてるラインナップ。

もー何年ぶりだろ? アルバム通して聴くの。

 

美里がマイレボリューションでブレイクしたのは

たぶんわしが中1くらいの時だったと思います。

 

当時EPレコード買ったぞ! 分かるか令和のみんな?

45回転で、真ん中にでっかい穴空いてるんだよなw

 

それまでわしが聴いてきた音楽は

せいぜいアイドルの曲とかアニソンが関の山で

愛だの恋だの惚れたはれただのを

キャピッと歌ってるものが多かったんですよね。

 

そういう土壌の中1に、渡辺美里は衝撃の存在だった。

 

恋愛ソングもあるものの、キャピキャピしておらず

大体、切ない風景の一部分を切り取ったようなドラマ性。

さらには、一人称が「ぼく」だったり「わたし」だったり、自由自在。

 

この曲の主人公は、男子なの女子なの?!

という判断すらつきにくかった。

 

さらには、美里の曲に、分かりやすい恋愛ソングが登場するのは

このアルバムよりも、もう少し後のことで

じゃあこのアルバムは何なんだというと

今で言う厨二病カテゴリーだと思うんですねw

 

わしの母世代、もっと昔の昭和にも

青い三角定規とか、青春を歌ったものは存在したけど

美里は、応援歌の中にも、ちょっと病み要素が入る。

「ティーンエイジウォーク」を聴いて、自殺に憧れた人も多いんじゃないんだろうかw

 

そして、美里自身の、ユニセックスな存在感

というのも、当時はちょっと珍しい存在だった。

 

顔は、下手したらアイドルになれるくらい可愛らしいのに

ファッションはどこかボーイッシュ、なのにちゃんとキュートで

歌詞はほぼ一人称が登場せず、登場したとしても男子と女子のごちゃまぜ感。

 

そういうさまざまな要素が、うまくかみ合って

わしはもちろん、わしの周りは

美里を支持する女子が一定数居た。

男子が聴いても恥ずかしくない感じの、ロックシンガーでもあった。

 

中1から中3くらいの

大人になる過程の、一番はじめの入り口で

モヤモヤしたり、ちぐはぐだったり、そういう上手く行かなさ

 

これ一体なんだろう?

 

って、明確に意識する前に

わしの眼前には美里が差し出されて

そのノリを真似していくのが

至極生きやすいような気がしてた。

 

あ、別にわしが病んでたわけではなくて

そういう厨二病を、単に友達と共有するのも楽しかったのですねw

 

美里の曲に出てくる「きみ」という二人称は

恋の相手とは限らないのです。

 

恋の相手かもしれない、友達かもしれない、その間かも。

なんなら美里が自分に語りかけてくれてるような気もする

優しくてフワッとした曖昧さ。

 

聴いてる方は、自分のコンディションによって

「きみ」という存在が、くるくる変わる。

 

何かをはっきりさせないフレキシブルさ

説明できないモヤッとさ

なのに聴いてる人の胸を打つ鋭さ

 

バランス感覚が最高っす。

 

でも、今の時代に聴くのは、ちょっと青臭すぎると思いますw

小学4年生くらいが聴くと、ちょうどいいんじゃないかな?

(我が息子やんw)

 

あと、時代のせいもあって

「受話器は外れたままさ」

とかいう、もう現代には通用しないフレーズもありますw

 

受話器って知ってるか?令和のみんな!!

受話する機器やで!ww

もちろん検索機能ついてないで!

Wi-Fiも飛ばんで!!

 

美里の曲で「19歳の密かな欲望」ってタイトルの曲があるのだが

当時中1だったわしは、19歳という単語を、ずいぶんお姉さんに感じたものだ。

しかも「密かな欲望」って! 大人すぎる19歳!!

 

今は48歳のおばちゃんですがwww

 

美里も、とっくに50超えてるんだろな~~~

でも変わらずレボリュってんのかな~~