【ハマボウの花の下で】より~ | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

2011311(金)東日本に…極大地震津波発生

 

★【原文】( http://erusaremu4654.jugem.jp/?eid=2『黄槿の花の下で』より )~から抜粋す!!

 

東日本は、其の昔「袍図莽句爾/秀真国」と呼ばれ、日本(Japan)は、「袍図莽句爾/秀真国」の創設に因って始まりました。「袍図莽句爾」(良く整った国の意)の名称は、『日本書紀』(神武31年条)に記載が有り、又、其の国の始まりは、日本神話に記述されています。そして、我が国(Japan)の原初神(國常立尊)、其の原初神の尊称語「尊/命/美挙等/ミコト」の語根は、古代IsraelBible(アッカド語)[Berashith/創世記]を表す文字(自説)が、其の語源の語根であります。

「昔、伊弉諾目曰、此国曰、日本浦安国、細戈足国、磯輪秀真国(袍図莽句爾)」~『日本書紀』(神武31年条より)。

当自説…【元始ヤマト文字言葉・基点研究】は、日本の、国家創建問題を解決致します。従って、従来説、つまり、縄文文化延長上に繋ぐ文化が嵩じ、大和国家が誕生した等の通説的研究ではありません。又、『日本書紀神代上』記述の原初神(含牙)を、アニミズム、フェティシズム説に付すのは、『日本書紀』の神意性を無視する偶説であります。

 私の、当研究に至った起因、及び、本説に行き着いた経緯を、次に簡略的に記します…

… 

それは【夜逃げ】昭和24年=1949年・冬/筆者2歳の時)に始まりました。 私の家族は夜逃げして、叔父の家での生活に入り、その最初の初夏。家の海岸際に生えていた3本の木の葉っぱの合間に、黄色い物体(昨日は無かった)を最初に見た瞬間、その色の美しさに驚き母の元に走り寄り、その色の形状物体に付いて尋ねるが、その問い掛けに対し家族の誰もが答を知りませんでした。唯、「キ(木)の花」と言う。此の時、言葉の不思議に気が付き更に語元に付いて質問しました。つまり「誰が何故【キ=木】と名付けたのか?」と…すると「大昔の人(名付けた人)に訊いてこい」等の返事であった。その6年後(昭和29年・7歳/小学1年)の或時、私は祖父の船の上に仰向けで天を見ている一瞬の間であったが光(太陽光線ではありません)が私の額を貫きました。ふと我にかえると「自分にしか出来ないことがある」こ言う言葉が我が脳裏に天からの言葉がインプット(Input)されていました。此の日の午后、何故、船の上に寝そべっていたのかと言えば、朝飯(麦3~4割混ぜた飯)に、更に、ソーメンが混ぜて炊かれていて見ただけで食欲が無くなり何も食べずに学校(昼迄)へ行きました。昼下校後のご飯も同じ冷飯(麦と素麺混じり飯)だったので食べず、空腹を我慢して瓦造り原料(粘土)運搬用の舟に仰向になりボンヤリ空を見ていた時の事でした…「一瞬・光が私の額を突き抜けた」。その瞬間、我が無意識下(空白)に彼の言葉(自分にしか出来ない事がある)が刻み込まれていました。然し、その脳裏に刻み込まれた言葉は「我が心の胸(心)の中にしまい込み」(Command/内意的支配言語)秘密の言葉としていた事から何時の間にか記憶から消えていました。

我が幼少時に於ける初夏から初秋にかけて真黄色の花を咲かせていた彼の3本の木は、私が小学3年(5月)の時、佐賀県伊万里市の県道(国道204号線)拡張工事に伴い、浦之崎(高尾の鼻付近)の断崖下に位置した叔父の家(我が家族も同居)は、半強制的に立ち退きを余儀なくされ、私が小学校(3年生の初夏頃)から帰ってみると、見るも無惨に切り倒されていました。その変り果てた3本の木を目の当りにした時の悲しさと哀れさは今でも忘れる事が出来ません。然し、その悲しみと悔しさを癒してくれていたのが小学3年春頃の音楽授業で1回だけ習ったメロディ-(音楽の教科書は買ってもらってないから曲名は覚えていません)でした。だが、その歌詞も下校後は忘れるが、何故か、最後の部分に当る…「♪ 空も高くーすーむ」と歌う処だけが記憶に残っていました。然し、メロディーはシッカリと覚えていていました。それで、その「黄色い花の木の下で」何時も1人で遊んでいた頃を思い出す度、そのメロディ-(題名は覚えていません)も一緒に何時も我が脳裏に蘇ってきていました…

…何時しか消え去っていた2歳頃の彼の出来事(日本語/言葉の始まりを知りたいと思った)が我が脳裏に鮮やかに蘇ったのは、神社り屋根に設置されている【千木】の語元を発見した瞬間であった。その昔、「自分は死ぬ迄に何かしなければならない」と言うCommand(命令/内意的・支配言語)が我が無意識下に埋め込まれていた結果、何時しか私は或運命の道に引き摺られ「ダツサラの走り」的行動を起こしました。つまり「インナートリップの旅」(自分探しの旅)を決意し離職届けを出すに至りました。其の結果…某(有名)哲学者説の記事(昭和61/08/22/金曜/毎日新聞夕刊)に遭遇(12年が経過していた)する事と成り、此れが我が運命の道に足を踏み入れた第一歩となりました。その夕刊記事の冒頭文を読んだ直後…「我がインナートリップの旅は此処で終った」と認識(命令/cognitionの役目の終了)すると共に、直ちに【鳥居/千木】の語元究明に着手する決意を固めました。そして翌年(8月始)、遂に【千木】の語元(語源の意ではありません)解明に成功した瞬間、「我が2歳時の或出来事」当時の情景が、まるで昨日の如く我が脳裏に鮮やかに蘇ったのでした。それは「キ=木」の語元や意味等を父母達に訊き、問い詰めていた「黄色の花の木の下で」(何時もの遊び場)の場景でした。つまり、我が無意識下的脳裏に潜むCommand(命令/日本語の始まりを究明せよ…)が私に追い込み仕掛けていた事に初めて気が付いた瞬間でもありました。従って、此の「千木の語元解明」を根拠とし、此処を以て「日本語の起元」(起源の意ではありません)研究のスタートと位置付けました。

 

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