【IAΩ】(IAω=八尾市の語元)の語元に始まる【日本建国・創建史】発信会~ | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

【IAΩ】(IAω=八尾市の語元)の語元に始まる【日本建国・創建史】発信会~

 

★Qumran(クムラン)秘儀教義宗団トッブグループの人達が【極東地域】紀元前133年以降のローマ側から見て世界最初の日の出地域/行政上のアジアの語元設定年へ移動した目的は、紀元前586年頃から祭祀エゼキエルはバビロニアで捕囚(ユダヤ民族)の預言者と活動していた事に始まります。その初期的預言は~「エゼキエル書43・1~2/イスラエルのカミの栄光は、東の方向から来た」~とある。その移動時期に当たっては~「その日には必ずイスラエルの地に大きな地震が起こる」(エゼキエル書38・19~20)~とあり、それが、ヘロデ王の第七年(紀元前31年)に発生した【Qumran(クムラン)大地震】です。そしてその地震の発生から「31年目」を以て、【神武天皇】(幼名タケヒト)の即位1年目として大祭司【八尾のAL(アラ)ヒト】が認定しました。つまり、日本の国は、【幻の西暦1年目・辛酉】に建国されました。

 

★何故【幻の西暦1目年】なのかと言えば、初めて西暦年(キリスト紀元暦)が設定されたのは、「復活祭1巡年」(キリストの十字架刑から563年目)の時である。つまり、ディオニシウスの友人カッシオドルス​が、【教書コンプトゥス・パスカリス】(キリスト教の復活祭設定の計算書)を書いた年が復活祭一巡年(19年×28回=532年目)に当たっていた。其処で、ディオニシウスが考えたのは、532年前にキリストが【十字架刑】(重刑)に処された時の年齢が「31歳」だったとして、更に「31年」過去に遡る。つまり、ディオクレティアヌス紀元279年(28回目の復活祭一巡年)から更に過去に遡り、その【563年】(532+31=563)前を【キリスト・誕生年】anno Domini/A・Dと称し設定した。それが、現在に言う西暦年の始まりである。つまり、神武天皇が即位した紀元前後頃(ローマ皇帝アウグストゥスの時代/BC27~AD14年)は、未だ西暦年は存在しない。従って、【幻の西暦1年目・辛酉】(神武天皇・即位元年=1年目と言う。 

 

神武天皇の即位に関し、何故、【八尾のAL(アラ)ヒト】の認定なのかと言えば、神武(タケヒト)に東征(九州・宮崎から河内湖を経由し渋川を遡り河内の八尾に到着)を要求したのは八尾地域を居住地としていた大祭司ΙΑΩALヒト八尾のアラヒト)だったからである。そのギリシア文字【ΙΑΩ】の出自は、【死海文書】1947年・クムラン洞窟から発見/下の図表を参照である。 

 

★(前文略)~ ヨニハヤルウタ、ノリクタセ乗り下せ/崇神12年詔=AD351年から創世記の預言数価358年遡り紀元前7年の話とする/天鈴暦51年、 ホツマチヒロム秀真路=秀真思想を広める、アマモイワフネ天磐船、シホツチ塩窯の翁ノ、ヲキナススメテ、ニキハヤ饒速日カ、イカンソユキテ、ムケサラン、モロミコモケニ、イヤチコ灼然/霊験あらたから事ト、サキニヲシテ河内・八尾の大祭司に因る白矢の文ノ、コタエツラ、キミ幼名タケヒト=後の神武天皇スミヤカニ、ミユキ東征ナセ後文略す/ホツマツタヱ29章

 

★因みに、ミマキ入彦(崇神天皇)の歴史的な即位年は、「AD340年」(ノアの嫡男セムの数価)である。

 

★創世記の【預言】~ 王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れる事はない。遂にはシロIBASILH/イエバ・シローのカバラ数価358が来て、国々の民は彼に従う(創世記49・9)~ と記されている。  

 

 

★画像のギリシア文字左図の赤丸枠)【IAωIAΩの出自は、【死海文書】(1947=昭和22年・クムラン第4洞窟から発見された獣皮紙巻物)の【レビ記】断片文字です。その意味は、ユダヤ【一神教】のGod【ヤハウェ】YHVH/口にすべからずカミの御名)の別称です。因みに、その文字は今から2052年前(紀元前31年)のクムラン大地震を契機に、極東へ移動する際、崖の上に掘った洞窟に隠されました。その内容は「レビ記3・12/4・27」の部分の写本文字ですが、朽ちて現在は断片として発見されました。

 

★西暦年が設定(AD563年に作成)されても、その設定当時は未だ、【紀元前】と言う設定方式は存在しません。では何故、【クムラン大地震】(エゼキエルの大地震の予言/エゼキエル書38・19~20…その日には必ずイスラエルの地に大きな地震が起こる)は【紀元前31年】に当たっているのかと言えば、God【ヤハウェ】YHVH)の御名は【ALHIM】(エロヒム=天地創造主であり、その最初の2文字【A L=エル】の数価が【31】定型詩・和歌の文字数と成る)だからである。つまり、エゼキエルが予言した「イスラエル(クムラン)の大地震」は、【カミの顕現】Epiphany/エピファニー)と捉えた【クムラン・秘儀教義宗団】トップグループの人達は、その大地震を契機(切っ掛け)とし、尚、エゼキエルの預言に従い極東へ移動した。そして、その大地震年からカミ【God・エロヒム】の数価【AL=31】を経た年に対し、【神武天皇・即位1年目】(幻の西暦1年目として大祭司【八尾のアラヒト】が設定からである。その地震年から【31年目】の重要性(新たに建国される理想郷国カレンダーの始点年とする)をイエスは知っていた。それは「東方の3博士」(贈り物を携えて赤子のイエスを礼拝した人達はクムラン秘儀宗団トップグループの仲間であった)に関連する。それで、更に次の【31年目】の重要性をも認識していたイエスは、その年代の時にエルサレム行を決行する。然しそれが重罪に当たり、イエスは【十字架・磔刑】(ハリツケ刑/重刑)に処されたのである。因みに時を同じくして、我が国に於いても「神武天皇紀元・皇暦31年=AD31年」に、神武は重要な御幸(ミユキ)を行ない、其処で詔(ミコトノリ)が発せられた(日本書紀』参照)~

 

『日本書紀』(神武31年=AD31年はイエスの十字架刑の年/神武天皇・御幸の条)~卅有一年夏四月乙酉朔、皇輿巡幸。因登腋上嗛間丘而廻望國狀曰(ミコトノリ)~姸哉乎、國之獲矣。姸哉、此云鞅奈珥夜。雖內木錦之眞迮國、猶如蜻蛉之臀呫焉1年365日の循環形に例える/1年365日の循環数価は国称ホツマ国=日ノ本国の語元である)~由是、始有秋津洲之號也。昔、伊弉諾尊目此國曰(ミコトノリ)~「日本者浦安國、細戈千足國、磯輪上秀眞國ホツマクニ)。秀眞國(ホツマクニ)、此云袍圖莽句爾ホツマクニ)~復、大己貴大神目之曰(ミコトノリ)~玉牆內國~及至饒速日命乘天磐船而翔行太虛也、睨是鄕而降之、故因目之曰(ミコトノリ)~虛空見日本國ヤマトクニ)矣。

 

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