冬至(大嘗会/大嘗祭)に思う事(西暦年設定方式) | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

冬至に思う事(西暦年設定方式)

 

…今日は平成最後の冬至(平成30年=2018/12/22)です…「冬至る日(冬至)に、大祭(大嘗会)り…ユキ(天)スキ(地)の宮、山海と、トミ言霊は、ハニ(地)スキの、ナメヱ(大嘗会)につけて、人草の、ホキ(壽)祈る也」(5・7調/ホツマ伝・27章=御親カミ船霊のアヤ)…

…古語「オオナメヱ」の起元(起源ではありません)は冬至にありました。その昔、ヨーロッパ方面では「復活の意」とされていて、現在の西暦年に言う正月の設定方式も、此の冬至の日に起因します…⛩️

 

 

…今日は冬至です。ちなみに西洋に於ける西暦年、その正月設定方式は、冬至から一週間程の日数を空けて設定されたとされ、正月に対しては余り関心が無かったみたいです…

 

…その西暦年の設定方式は、5世紀始め頃のディオニシウスが、キリスト教の「復活祭一巡年=532年」(ユリウス暦の閏年)を過去に遡り、更に当時のキリストに付いて回る【31】に対し年齢と考えて此の数値年を溯って設定した名称が、「Anno Domini」(アノウダミナイ/AD/西暦1年目)です。然し、此の【31】とは、死海の西側に位置するクムラン地域を襲った大地震年(BC31年)から「31年目」(幻の西暦1年目に当る)に対し、新た成るメモリー年(カミの国・創建始点歴年)として【クムラン・秘儀教義宗団】トップグループの人達が定義していた事に関連します。従って、実質的、その「カミの国・創建」を目指して極東の此の島に移動して来た「クムラン・秘儀教義宗団」トップグループの人達は、【長髄彦・討伐物語】(死海文書のメルキゼデクテクスト・11QMelchを題材としていた)を創作し、そして、神武が「ΙΑΩ」(八尾市の語元)を経由(天鈴58年=紀元前3年目に当る)する内容としたのは、倭語【ヤオ】(三角数507+BC3年=536)の単語を造語する為でした。つまり、「神武天皇・即位元年」が【幻の西暦1年目】に当たる事を前提にしての【秘儀数値・536】(クムラン地震から29年目に当たる)の抽出でした。その意味する処は、「エルサレム第2神殿」の再建開始年(紀元前536年)を意味表しています。従って、此の【幻の西暦1年目】(神武・元年/辛酉)を皇歴始点年と設定するを以て、古代イスラエルの「エルサレム第2神殿・陥落年」(AD70年)の翌年に当る歴年数値が「景行天皇の即位元年」(在位通歴731年-660=西暦71年)に合致するように設定されました。此の証明と成るのが【太神宮諸雑事記第一】です。

 

…今迄謎とされてきた【日本語の始まり】の解明に行き着いたのは、成石の社宅から2歳の時に一家で浦ノ崎(追崎トンネル付近の海岸際)の祖父の家に夜逃げした事に関連します。それは、3歳誕生日頃、伊万里湾に咲いた「ハノボウの花」塩生植物/佐賀県の絶滅危惧種・指定)に出会った事にありました…

 

 

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