『ホツマツタヱ・文書』の総論№1 | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

…先日(平成28年=2016/02/20/土曜)、知人の紹介に因って、或大学(本部は大阪府茨木市)で開催されていた「社会人セミナ-」(会場は大阪市・梅田)に初めて参加させて頂きました。それで、其の時に教わった「自分史の纏め方」(ライフマップ)的方式を用いる事により…《『ホツマツタヱ』文書の総論》…と標題し、其の文書内容を纏めれる処に辿り着く事が出来ました。

…『ホツマツタヱ』(秀真伝)文書とは、神代文字(幾何学的形状文字)で書かれた我が国の【正典】(Bible)に値します。此の文書内容を手短に言えば、『現存・日本書記』(国史大系書)記載の【日本国・開闢神話】から【景行天皇紀】迄の記述内容と、系譜、在位年等に関しては殆ど同等と成っています。つまり、『現存・日本書記』(刪定的偽書…写本伝承)に記載されている【景行天皇紀】迄の文書内容は、『ホツマツタヱ』文書に用いられている神代文を漢字に変換(欽明天皇の時)し、書き換えられた文書だったのでした。つまり、『ホツマツタヱ』文書は、「第12代・オシロワケ」(景行天皇紀)迄で完結していて、其の後に続く「第13代・成務天皇」以降の歴年史に在っては、其の後の編纂時に於ける巻物(文書)を以て其の歴年史は繋がれていったと考えられます。然して、『ホツマツタヱ』文書に於ける…《日本国(元始ヤマトクニ)創建史》…としては、【景行天皇紀】迄で終った形式(序文等の記事が在る)を以て書かれています。  

…【第12代・オシロワケ】(景行天皇)迄の【在位通歴年数値・790】(初代~12代目天皇迄の在位通歴年)は、予め設定された数値で在った。其れは、現在風に訳せば、【日本人の正典】(Bible)としての文書(預言書に値する)を創作する必要が在ったからでした。此の事は、【死海巻物文書】(1947年発見)に記述されていた…「幻を書き記せ」(ハバクク書2・2)…等と言う語意を受け継いでいたからで在ります。従って、此の事を証明してくれるのが【太神宮諸雑事記第一】で在ります。つまり、此の文書内容は、其の預言書的『ホツマツタヱ』文中(イクメイリヒコ・紀)に言う処の「伊勢…内外宮の式年」(477~478年=雄略天皇21年~22年の時)が滞りなく行われた事を記しています。

…尚、『ホツマツタヱ』文中に於ける【カミヨ】、即ち、【元初神・登場物語】。そして、其の開闢物語に続く【歴代・カミヨノモノガタリ】(日本国開闢神話~神代12代目彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊)迄の物語は、後付的に創作され、接続されたので在ります。然るに、『日本神話』創作が意図する処とは、古代イスラエルの【Bible】(正典)、其の【創世記】の「アダム~ノア迄の歴年数値」、及び、【ノア・大洪水年数値】(アダムから1656年の時)を、『日本神話』の歴年数値(179萬2470年…日本書紀の神武東征物語に於ける初年の時として記述されている)に結び付ける為で在りました。

…《 『ハマボウ(黄槿)の花の下で 』より》…
…《標題『ホツマツタヱ』総論》…に辿り着く迄の紆余曲折的な事に付いては…『ハマボウ(黄槿)の花の下で』(ブログ引越先)…「八尾の語元を知れば日本国家起点年を知る事が出来る・URL 」   http://fb.me/RjIdYlCZ    ドラッグ&クリックして検索 の事を参照されたし…。
 
…【倭歌】の語元は「倭語ゲマトリアに因る造語…ウタ()」に在った…

…『ホツマツタヱ』(
秀真伝)文書の筆者(Qumran Sect)達は、究極的には何が言いたかったのかと考えれば、其れは、直接的には記述されていませんが、其の『秀真伝』文書を読めば其の意図する部分が見えるように書かれている。然るに、其の方向性を意図する強い部分を抽出するとすれば、【定型詩・和歌】(基本・31文字)に関する記述内容も其の1つと成る。早い話が、「何故…和歌は基本31文字なのか?」と言う処に行き着きます。其処から更に突き進めれば、『万葉集』(延暦2年=783~785年頃・二十巻完成?)、及び、『古今和歌集』等は、何故…【1000歌】(チウタ)&【20巻} (ハタマキに纏められているのかと言う処に行き着くが、此れは、『ホツマツタヱ』文書(日本人の正典)が、【預言書】的(【死海文書】…幻を書き記せ…)に記述されていた事を物語っているからで在る。然るに、『古今和歌集』の【仮名序】に於いては…《【倭()歌・31文字】の凄さ》…に付いて説明(見えぬ鬼神をもあはれと思はせ…)しています。

…因みに…「(前文略す)…チカラ()もいれずしてアメツチ(天地)を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれとおもはせ、おとこ()おうな()のなかをもやはらげ、たけきもののふの心をもなぐさむ(慰む)は歌なり…(後文略す)」(『古今和歌集』仮名序より抜粋)。


…従って、此処に見えてくるのは【高句麗】の滅亡時(天智天皇7年…A.D.668年)に対する我が国の考え方(当時の近江・大王族の考え方だったと私は考える)。つまり…「高句麗が建国以来700年直後に滅亡」(紀元前2年頃の建国?)した事に対し…「国家存続700年は節目の年」…として倭王(オオキミ氏族と私は考える)が捉えていた(『日本書紀』参照)事を認識する必要が在ります。然るに、其の節目的意味を考察すれば、つまり、其の突発的な【大宝・改元】(皇歴1361年)が意味する処は、【節目・700年】先を見越しての考え方に基付いての事だった。然るに、何ら、歴史的な裏付けも無く、突然の【大宝・改元】(幻のA.D.701年目)成る動機を探れば、其れは【節目・700年】(幻のA.D.1年目から換算して)を意図しての事と考える事は何の不思議も在りません。此の大宝改元後、大伴宿禰旅人は…「727年・筑紫太宰府に下る」が、筑紫に下ったにも拘わらず、山上憶良(歌人)を誘い、【歌壇】を形成した。此の事は…【ヤマト(日本)建国】(神武・即位1年に始まる)後、其の先の【千年】(千木の語元に関連する語意)を見据えての行動で在った可能性が在る。其の事を証明するのが、其の後に於ける大伴家持の働きで在ります。つまり、其の大伴旅人の意志を引き継いだ、其の大伴家持は、旅人の意思的な【和歌・20巻】(秘儀的数値に纏めての完成…783年~785年頃の完成とされているの纏めを以て完成させていたからで在る。然るに、此の出来事は、我が国に於ける氏族としては、先史からの繋がりを以て成る【大伴氏】の系統(大伴の伴の字は…物部に言う伴部をに起因する)を遡れば…【ミチオミ・道臣】(紀氏)に辿り着き、【久米氏】を部下に置き、神武(タケヒト)東征時に名を連ねた氏族で在った。然るに、此の大伴氏族は、預言書的に書かれた『ホツマツタヱ』(代々の掟書…秀真伝文書が有す【秘儀数値】(アスズ暦・843年的数値)の秘密を、代々の子孫を介し知っていた事を物語るもので在る。然るに、其の証拠と成るのが『万葉集』(A.D.783年~785年頃…最終編纂者・大伴家持)の完成で在ります。

…下記に【追記】(平成28年・2016/02/24/水曜)…【二中歴】は【アスズ暦】の秘密を知っていた…

…先述に言う【大宝・改元年】の年が「皇歴1361年」に在るにも拘わらず、建国から換算しての【高句麗・滅亡】に於ける【節目・700年】に対応していたのは、此処に言う【幻の西暦1年目】の設定方式を知っていた人物が我が国に、未だ、存在していた事を物語る。此の証拠と成るのが皇歴年に対応させて成る我が国の【干支年・設定方式】で在る。然るに、其の、
【干支年・設定方式】とは、【倭暦】、即ち、『ホツマツタヱ』(秀真伝)文書に於ける暫定的な歴年数値の1年目(アスズ暦・1年目)に対し、補足的に創設された【ヱト年・設定方式】が起元で在りました。

…【追記】…
然るに【二中歴】には、【幻の西暦1年目】(神武・即位1年目)を示唆する数値と、【第1回目・伊勢内外宮式年祭】の始まりを意味表す数値が記述されていた。つまり、此の【二中歴】に記載の歴年数値とは、『ホツマツタヱ』文書の秘密を知っていた人達が、【持統女帝】(天武天皇の意向を引き継いだ)に因る最初の【式年祭】、及び、【大宝・改元】(皇歴1361年)当時に在っても、未だ、存在していた事を意味表す数値で在り、且つ、確と、其の事を証明する数値(景行天皇時・第一回目式年祭の年に当たっていた)でも在ります。然るに、其の、【二中歴】の【干支年】に先立つ歴年数値の始まりは、『秀真伝』(姉妹書・三笠文)文書に起因する【アスズ・暦】(暫定的・元初の日本史暦)に始まった事をも証明する数値でも在りました。従って、『太神宮諸雑事記第一』(景行天皇から聖武天皇6年=西暦729年迄の重要な部分を抜粋しての記述内容と成っているの文書を書き残した人達も、『ホツマツタヱ』(秀真伝)文書の秘密を知っていた人達で在ったと言う事に成ります。

…《 『ホツマツタヱ・文書』の総論 》…と標題するに至ったのは、『ホツマツタヱ』文書の創作者が、究極的、其の意図する処は、『ホツマツタヱ』(
真伝)文書に於ける暫定的な歴年数値(暫定的歴年数値として設定されていた)が、暫定的数値年を離れて、正式的な歴年設定へと移行する事に在った。其れは、『ホツマツタヱ』(姉妹書・三笠文)文書が、我が国に於ける歴史書(日本史)と成る必要が在ったからで在ります。従って、『ホツマツタヱ』の究極をする以上、其の重要な文書内容が、日本国家創建史として、尚、其の後に於ける歴年数値として、依然として施行され、尚、其の意図する処の…「【式年祭】。又、【年中行事】等もが継続的に施行されていたのか」…等と言う事に対し、後年(近年から現在の意)に於ける『ホツマツタヱ』の研究のあり方と致しましては、其の歴史的史実を証明してこそ、初めて、此処に言う処の…《 『ホツマツタヱ』の総論 》…に至のではないかと私は考えた次第で在りました。

…然して、此の標題(総論)に至る切っ掛けと成ったのは、此のブログ(2016/02/22/月曜)を書き出した「2日前」(2016/02/20/土曜)に行われた【追手門大学…社会人セミナー】( 講師・田中正之先生 を初めて受講した事に在りました。其のセミナ-に於いて、私としては初めて聞く処のライフマップ。其の仕組みを、其の日、1日の受講の中で体得する事が出来ました。従って、其の最後に纏める事と成った…「我が本質的テ-マの絞り込み方式」(テ-マの核・主題を抜き出す方式)…を教えてもらった事に因って、早速、其のライフマップを用いる事と致しました。

…つまり、我が研究のテ-マに纏わる言葉の抽出。そして、其の抽出した言葉を体系的に配置する事により、より明確と成った主題()を更に考察する処と成った。従って、其れ迄、私が見付ける事が出来なかった「ホツマ研究の総括的な部分」に位置する処の標題を捉える事が出来たのでありました。其の標題が、即ち、此のブログの標題として採用する処の
…《 『ホツマツタヱ・文書』の総論 》…で在ります。「田中 正之先生」(セミナ-の講師)。又、此のセミナ-の参加に誘ってくれた「北村正信氏」(知人)。そして、其の講義の受講をOKして下さった「当・大学の先生」(女性の方)。又、受講生の方々。本当に有り難う御座いました

下記に【追記】(平成28年・2016/02/25/木曜)…空海は『ホツマツタヱ』の秘密を知っていた

《 『ホツマツタヱ』の総論 》…に於ける、其の研究的年代の範疇は、【エゼキエルの預言開始】B.C.587年頃~【空海】A.D.771~835頃)迄と致しますが、其の【総論】の中核は、【普遍的・秩序】に行き着きます…従って、此の研究年代(範疇)の最後に位置する処の空海も、「イワユル神代文字文献」に言う処の『ホツマツタヱ』文書中、最も重要な部分に付いては知っていたと言う事で在ります。つまり…《空海開祖【真言密教】》…とは、【隠れ神道】(大日如来)で在ったと言う事に成ります。此の事に付いては、過去のブログ(URL  http://ameblo.jp/erusaremu464/entry-11311590027.html ドラッグ&クリック・検索)に記しています故、其の説明は省かせていただきます。尚、此の研究的年代の始まりとしては、「エゼキエルの預言開始頃」(B.C.6世紀)と致しますのは、其の根拠とする【死海文書】(1947年発見)の記述内容に在ります。 

…『ホツマツタヱ』別伝の【フトマニ】(太占)に因ると、其の『秀真伝』(姉妹書・三笠文)文書の著者、即ち、【大物主系・三輪氏】(『秀真伝』の著者)系譜の人。そして、【天児屋系・中臣氏】(【散逸書・三笠文】の著者)系譜の人は勿論の事だが、其の系譜以外の【吉備 真備(マサナリと読む)】695持統天皇9年~宝亀6年10月2日・775年11月3日死没)も、『ホツマツタヱ』文書の内容を知っていたとされています。尚、空海(771~835)は、阿刀大足氏(物部の本拠地八尾地域を祖とする)を通じ、『秀真伝』文書の内容を知っていたと考えられます。然して、此の『秀真伝』(ホツマツタヱ)文書の写本に於ける伝承的出自に付いては、現在、市販されている【ホツマツタヱ】(秀真伝)関連の本、若しくは、インターネット(例えばGoogle・検索)等でも紹介されていて、検索を以ても知る事が出来ます。

下記に【追記】(平成28年・2016/04/02/土曜)…【日本建国史】の構成方式
…此処に言う【日本建国史】とは、我が国最古の歴史書で在る処の『秀真伝』(姉妹書・三笠文)文書を意味表します。此の【カミヨ・文字】(秀真文字)文書は【オシロワケ】(第12代目)迄の物語を以て完結させ【日本人の正典】(Japanese Bible)として書き残されていたので在りました。尚、此の『秀真伝』(40章迄)と、『三笠文』(64章迄)文書に因る歴年数値の設定、及び、其の構成方式は、先ず、【300萬年】(ミモロ年)と成す【枠・物語】としての【カミヨ・物語】を創作し、其の創作物語の中に【ト-ラ】(モ-セ五書)に記載されている「ノア迄(アダム~第10代目)の歴年数値」を、此の、
【カミヨ・物語】(現在に言う日本神話)の中に組み込みました。此の、【カミヨ・物語】の後の、スメラミコトの歴年数値(皇歴通年数値)、つまり、【初代タケヒト】(神武天皇)~【第12代・オシロワケ】(景行天皇)迄の通歴年数値(790年)に合致させる方式と致しましては、【クムラン】(Qumran)付近から発見された【死海文書】(1947年発見)に書き残されている…「メルキゼデクテクスト(11QMelch)、つまり…「(イザヤ書61・1)…捕らわれ人に自由(解放・釈放)を告知するために」(解釈文)…の部分が採用されていました。従って、『秀真伝』(姉妹書・三笠文)文書(【日本建国史】)に基付く、「日本建国思想」とは、奴隷解放・思想に在りました。然して、現在に言う【死海文書】(Dead Sea Scrolls)を書き残し、此の極東の島(日本列島)に移動して来た【Qumran Sectb】(クムラン・秘儀宗団)のトップグループの人達の居住地は、河内の【ヤオ】(大阪府八尾市)に在りました。此の、【ヤオ】の語元(語源ではありません)は、「クチニスベカラズ、カミノミナ」聖4文字≒テトラグラマトン=Tetragrammaton=Y H V H )を意味表す【ΙΑΩ】グノーシス主義者達は魔除けに採用)で在ります。此の魔除け的【ΙΑΩ】の存在的伝書と致しましては、此の地域の神社、つまり、【竹渕(タコチ)神社・由緒書】(八尾市史)が残されています。   


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