【ヤマト川】の語元も【八尾の語元】(YHVH)に関連する… | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

…此のブログは《【神武・東征物語】に於ける【ヤオ】の語元に付いて》のブログ記事 ← (ドラッグ&クリックして検索) の続きとして書いています。 …《 テ-マ『ハマボウ(黄槿)の花の下で』より 》…を用いるブログ記事の内容は…「我が自国の言葉(日本語)は誰が考え、そして、誰が作ったのか」(幼年期からの疑問)…と言う、其の問題(命題)解決に当たり試行錯誤してた頃(其の当時も八尾市に住んでいた)、つまり、「我がインナートリップの旅」自分探しの旅)を以て、此の問題解決、即ち、其の基点と成っていた【命題】に関する事を纏めたものとして書いています。

…以前の標題(【ヤオ(八尾市の名称)の語元】は『旧約聖書』に言う【 Y H V H 】で在った)を変えました
…我が日本国に於ける民俗宗教とされる神道は、読んで字の如く…「カミノミチ」…で在ります。然るに、【シントウ】(神道)と言う用語の初見は、『現存・日本書記』(刪定書的偽書)記述の…「天皇(用明天皇586~587)…仏法をう()けたまひ、神道を尊びたまふ」…に在った。然して、現在に言う「カンナガラ」(神随)の語義は、『万葉集』(204・挽歌)等からの採集的造語(カンナガラとは近年の造語)で在りました。然るに、其の採集的文言(『万葉集』)とは…
①…[原文] 安見知之  吾王  高光  日之皇子  久堅乃  天宮尓  神随(カムナガラ)  神等座者  其乎霜  文尓恐美  晝波毛  日之盡  夜羽毛  夜之盡  臥居雖嘆  飽不足香裳 (Google検索因り抜粋)。

②…
[訓読] やすみしし  我が大君  高照らす  日の御子  ひさかたの  天つ宮に  神ながら  神といませば  そこをしも  あやに畏み  昼はも  日のことごと  夜はも  夜のことごと  伏し居嘆けど  飽き足らぬかも
Google検索因り抜粋)。

上記に言う「カムナガラ」(神随)の語意は、其れ以前に於ける「カミノ・マニマニ」的語義(太占言語)の伝承語に因る造語で在ります。つまり、此の言語は、【ワカのウタ】(基本31文字…ワカヒメが創案した故、ワカと言い…漢字表記の【和歌】は後付で在る)を起元とする『万葉集』に取り込まれている事を思惟すれば、「高度な言語的技術」(言語学)を有した氏族達(歌人を有す氏族)に因って伝承されていた事が考えられます。律令時代頃の其の歌人に於いて、其の代表的な氏族と言えば大伴氏大伴宿禰旅人・727年・筑紫太宰府に下る)で在ります。因みに、此の大伴氏族は、「神武天皇・即位」に始まる…「ヤマト国の創建時頃からの由緒在る氏族」(大友氏)…として『日本書紀』に記述されています。要訳すれば、此処に言う「カンナガラ」と言う言語は、『秀真伝』(姉妹書・三笠文)文書の別伝とされる【フトマニ】(太占)文書(カミノ…マニマニ)に起因する造語と言う事に成る。然るに、【シントウ】(神道)に言う【シンメイ・トリヰ】(神明・鳥居)の、其のトリヰ唯一神明様式)に対し、何故、シンと呼ばれたのかと言えば、其れは…《ユダヤ民族文字・基本22文字》…に起因します。然るに、後年に於ける神道に言うシンに対し漢字の「神」(シン)の字が当てられているが、其の本質的な語意を言い表す漢字言語と致しましては(神 ← シン)では無く、【歯】(現実的には【牙】の字が用いられていた)が正しい当て字に相当する。何故かと言えば、其れは、古代ユダヤ民族の「ユダヤ文字…《第21字・シン ← 字元は歯》…」(字元に起因)が示唆された用語だったからで在ります。然るに、此の事の証明と致しますのが、『現存・日本書記』(刪定書的偽書)の巻頭文、其の成句的(130字)漢字表記を以て記述されている処の…「元初神の御名」(含牙フクメリキザシ …に在ります…。

【日本国・開闢神話】(【逸書・日本紀←と読む】)の「巻頭成句」冒頭から130字迄の漢文成句)は、現在に言う…『旧約聖書』劈頭成句の焼き直し版…で在った。此処に言う「巻頭成句」(『日本書紀』)中に記述されている元初神、つまり【含牙】(フクメリキザシ)とは、隠された倭語数値言語(日本式ゲマトリア)の存在を、シンと言う言語(造語&単語)を用いて言い表し、其の語義の中に含まれている複数の語義に対し、翻訳的に設定した用語(キ→ 木&東を意味付けされた1文字単語)を、更に、編輯し直された用語(ウマシアシカビヒコジノミコト ← 【含牙】)で在った。然るに、其の初期的造語(1文字単語)を題材として最初に創作された物語(神代文字文献)を介して周知されていたからこそ、漢字に於ける造語【含牙】(フクメリキザシ)に対する翻訳言語(意訳)「ウマシアシカビヒコジノミコト」(『日本書紀』)の表記に対し、其の当時(欽明天皇期頃?)、刪定的(部分的に削除)に漢字に書き換えた人達に取っては何の違和感も無かったと考えられます。従って、此の【含牙】の語義が示唆される原典書『秀真伝』(姉妹書・三笠文)文書に照らし合わせ思惟すれば、自ずと、我が国に於ける元初神の正体を導き出す事が出来るので在ります。然るに、先述に言う【1文字単語】にも起因(フクメリキザシ)する隠語シンに隠された言語数値(字元に関連する数値)を用いて【日本神話・枠】(300萬年)が創作された。つまり、其の数値枠の中に記された物語(神代文字文献に記述された)が、現在に言う処の『日本神話』で在りました。然るに、其の元初神的シンとは、実際的には【 A L H H M 】(エロヒム…霊的意味をも有すを言い表す造語で在りました。其れは、Qumran Sectbクムラン・秘儀宗団)時代(紀元前2~1世紀末頃迄)に於ける【メシア・来臨思想】の派生時に在っては、既に、初期的God(倭語【カミ…Kali ← 上方】の意)に対する表記方法は、ギリシア語聖書(LXX…70人訳)の写本時に於いて、短縮語(文字)が使用されていた。其の、初期的ゴッド(God)表記に言う【エロヒム】は、【ト-ラ】(モ-セ五書)時代以降に於ける表記時に在っては、【IHVH】(YHVH)と成す書紀方式(ヘブル語・方形文字で書き表されていた)が使用されていた。然し、其の写本作業に在っては、特に重要な【聖四文字】(テトラグラマトンに対し、短縮語(文字)が用いられていたので在った。
 …つまり、【ヤオ】(現在…八尾市の名称)の語元とは、先述に言う短縮語、即ち…【I H V H 】(ユダヤ民族の唯一的【Kali ← 上】の御名) の短縮語(文字)、其の儘(ママ)の発音を以て命名されていたので在りました。

…地図から消えていた「旧・渋川」(八尾市)…
…【タケヒト】(後に言う神武天皇)東征時、ナガスネヒコ軍の抵抗に苦戦し、肘を射られたイツセミコを庇って【ヤオ】(八尾)へと東征軍は陣を退くが、此の時の退路は河内湾(高井田付近)に川の入り口を有し、現在に言う処の「長瀬川」では無く、此れも現在に言う処の「久宝寺川」(分流路…本質的には【旧名称…ヤマトガワ)を遡った「跡部地域」の地名(現在のJR久宝寺駅の近くに位置する場所に対し【ヤオ】と呼ばれたと解する事が出来る)に対し【ヤオ】と呼ばれていたと考えられます。然るに、其の、「タケヒト」(後の神武天皇)の東征物語的な戦が行われた年代は、西暦で言うと「A.D.2世紀中~3世紀中頃」かと私は推測します。

…「ヤマト川の語元」に付いて
…日本国家としての創建時当時(紀元1世紀・弥生中期)に在っては、ヤマト建国以前には国の王で在ったニギハヤヒ系の氏族達は「物部・職」を賜り、其の拠点地としては、古代河内湾の南に位置する【ヤオ】(八尾の地に移り住んだ。其の物部の館跡が【渋川・廃寺】跡地付近(JR久宝寺駅北側近く)から出土している。然るに、【ヤオの語元を知るに当っては、何故、其処が【渋川】と呼ばれ、又、其の名称に言う神社が建立(三角州の地域に建立か?)されていたのかと言う処が重要なポイントと成ります。然して、此の問題は「ヤマトカワ」(後に漢字で記す大和川明記は後付です)の語元にも起因しています。其の地名【渋川郷】(和名抄)は「6世紀後半から出て来る」。従って、其れは「物部守屋大連が蘇我馬子に滅(587年)ぼされた事」に関連します。つまり、現在に言う【渋川】の其の漢字表記は当て字で在った。然るに、【渋川】は訓読では…「シフカハ(之不加波)」…と記されています。然して、此の漢字表記之不加波に対し【渋川】と当て字された処に其の語意、語元、語根が解らなく成っていたので在りました。換言すれば、此の言語に値する川の名称は此の地域には存在せず、直接的、川を言い表す言語では無かった。要訳すれば、「シフカハ」とは…「タケヒト(後の神武天皇)東征物語」に於いて、ヤオの地に陣を退くも、其の地に陣を建て直し、占い事(太占…獣骨占の弥生中期に於ける日本鹿肩甲骨が出土している)を行ったとされる【天鈴暦・55年】(『秀真伝』に記載に関連付けられた事を意味表す造語だったので在ります。

…【物部・鎮魂歌】と【渋川】との語根数値の合意点… 
【物部・鎮魂歌】(祝詞)とは、即ち…イタムコト、アラバ ヒフミヨ、ヰムナヤコ、トマデカゾエテ、フルエタダ、ユラユラフルエ、カクナセバ、スデニマカルモ、ヨミカエル、フルノコトゾト、ミコトノリ」(秀真伝第20章…天御孫十種得綾)。此の鎮魂歌の重要なポイントは唯1つ…【倭語数値・10】()…で在ります。つまり…「トマデカゾエテ」…の語義。此の鎮魂歌祝詞()に言う【倭語数値・ト】(10)とは、秘められた【ヤマト言語数値方式・ゲマトリア】を示唆する数値で在りました。尚、此の数値(10)は我が国の元初的国称「ヤマト」の「ト」、又、【フモト】(梺=麓)の「ト」とも同義語で在りました。

…我が日本国家建国に於ける其の【フモト】(梺=麓)と造語された処の語義的方向性は、新た成る理想郷的国家創建への道標を示唆するもので在り。其の用語に言う処の【フモト】とは、【頂点・フトマニ】(210)を意識した処の【数値・55】に関連付けられた【ヤオ】(現在の八尾市の名称)の地で在りました。然るに、我が日本国の建国起点地は、【ヤオ】(現在…大阪府八尾市渋川…JR久宝寺駅付近)で在ったと言う事です。因みに、此の地域、及び、古代河内湾)近辺からは其の歴史的史実を物語る遺物(弥生中期…A,D,1世紀前後・Ⅳ様式が多々出土しています。然して、【自然数…
すべての総和】に言う其の「1 + 2 + 3 + 4 =10」的な計算に於ける「10」迄の総和は【55】と成る。然るに、此の数値【55】が、【物部・鎮魂歌】と【渋川】との語根数値(合致点)が合致する処で在りました。然して、尚、「タケヒト(神武)・ヤマトウチ」(東征)物語を創作するに在っても、此の数値を以て、ヤオと言う地名の初見と成っている。
…【カワ】()の語元は、【渋川神社】(八尾市)の語根が語元で在る。然るに、カワ()の頭語【カ】の語根は「始め」を意味するアルファベット文字。又、「カワ」の「ワ」とは、最後(終り)を意味表語根文字す、「倭語・ゲマトリア配列」忍者文字に起因する。従って、此の「カワ」が意味する処は…《【始め】と【終り】》…を意味表す言語(造語)でも在った。

…「日本の建国記念日」は立春正月(2月4日)が正しい
…【神武天皇・即位1年】が、現在に言う建国の日とされる。然るに、当時 (紀元1年)の我が国(元始・ヤマトクニ)が用いたコヨミ(木読…暦・カレンダー)は、【太陽暦】で在り、固定的【立春正月】だったので在ります。其の証明と成るのが【イカスリ】(座間・大阪市に神社在り)で在ります。又、鬼遣らい】(追儺、の「トシワケ」(節分・イリマメの事に付いても「ミカサフミ・ナメコトノアヤ」、そして、「秀真伝38章」(景行天皇25年条)にも、此れに関連する事が記されています。

標題ヤマト川】の語元も【八尾の語元】(YHVH)に関連する
…此処に言う…【ヤオ】(八尾市の呼称)の語元】…とは、世界暦年数値(旧約聖書の創世記に始まる)を、【ヤマト。コヨミ】(天鈴暦)に合体させた処の数値を用いて造語された呼称で在りました。尚、其の呼称は、【正典】(Bible)として写本する時に用いられた短縮的別称、及び、表記方式で在って、【Bible】(聖典)として完成の域に在っては、其のY H V Hに対し、直接的、口にすべからずカミ(Kali ← 上)の御名とされていた故、アドナイ等と呼ぶか、又は、無言にて、スルーしていたとされています。従って、其の世界歴年数値と、【天鈴暦】(倭暦)の或数値との合致地点地域に対し【アト】YHVH)と命名されたので在った。そして、其の地域の側を流れる川の付近(三角州?)に【ヤシロ】)社を建立した。其れが後に言う処の【渋川】で在る。つまり、此の【渋川】が、【ヤマト川】の語元に関連していたので在りました。然るに、其の川、即ち、【ヤマト川】とは、古代ユダヤ民族が唱えた【一神教】のY H V Hに語元を有す呼称在り、其の省略形の呼称に関連付けられ、新に造語された呼称だったので在ります。

下記に【追記】(2016/02/15/月曜)…【スズキ → 鈴木】の語元に付いて…
…【スズキ】(鈴木)の語元は、タケヒト(後に言う神武天皇)の即位前期に於ける「ナガスネヒコ・討伐物語」(天鈴暦・51年に関連する数値に在る。然るに、此の天鈴暦に言う【数値・51】は、【死海文書】(1947年・発見)に記述された…「ハルマゲドン的な善と悪との最終戦争後」…つまり、其の最終戦争後に於ける奴隷解放的スト-リィ(story)に添わせての数値(カバラに取り込まれている)を用いるを以て、其の方向性を示唆しています。つまり、其の示唆する処は…「ヤマト民族(日本人)の聖典(Bible)作成」…に在りました。従って、其の【スズキ】(鈴木)の語意を用いて造語されたのが「ヰソススヒメ」(五十鈴姫)で在りますが、其の語意は、『日本神話』(秀真伝・三笠文の記述文書)の終焉を意味表す造語でも在りました。

…此の続きは後日と致します…


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