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…結論を先に言えば、「縄文民族」と「アイヌ民族」とは、別民族で在る。
…大方の「縄文民族」が、稲作制作を行った民族と同化して弥生文化を形成したのかも知れませんが、後に言う、現在の「日本人」とは、此の文化を引き継いだ民族だと考えられます。然して、其の同化に抵抗し、稲作制作以外の別行動を行ったのが、其の後に言う「アイヌ民族」等で在った。
…「ヤマト民族」とは、個々的単一民族の集団では在りません。「ヤマト思想・邦」の誕生を以て、其のクニ(邦)の人達を言う民族名(ヤマト民族)で在る。然るに、「ヤマト」の語元(語源ではありません)は、創作的『日本神話』の過程を経たとする思想の元に建国された事を以て「ヤマト」と定義されたので在る。そして、其の初代王(タケヒト…後に言う神武天皇)の即位年を起点としての王統継続に因る国家体制の中に住す民族が、現在に言う「ヤマト民族」なので在る。従って、此の国家体制に従わなかった「アイヌ民族」は、「日本民族」とは言い難いと言う事に成る。
…然して、「縄文期」頃から既に稲作が在ったと成す説が在るが、其れと、其の後(弥生期)に於ける「水田・稲作文化」とは別問題として考えなければ成りません。つまり、弥生期の「水田・稲作文化」は、「ヤマト邦」(クニ)が率先しての「稲作及活動」の一貫として、其の計画に因って、随時、行われていた事が考えられるからで在ります。
…尚、現在に言う「アイヌ民族」とは、北海道を中心と成す地域に於ける「擦文時代」(サツモンジダイ…7世紀頃~13世紀頃)を継承した民族とされる事から考えれば、其れ以前の、縄文、及び、弥生文化を引き継いだ民族とは一線を画す民族だったと私は考えます。尚、「アイヌ」の初出的文献は、『秀真伝』で在ります。其の、『秀真伝』文書に因ると、其の当時から「アイヌ民族」は、「ヤマト(日之本・ホツマクニ)・国家」とは、一線を画す民族等の語意を以て記されている。
…因みに、【アイヌ・擦文時代】(アイヌ・サツモンジダイ)とは…「7世紀頃~13世紀頃(飛鳥時代~鎌倉時代後半)にかけて北海道を中心とする地域で擦文文化(サツモンブンカ)が栄えた時期」(PC・検索)とされている。
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