B【ヤシロ様式・サコクシロ】とは | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

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…『現存・日本書記』とは、つまり、此処に至る経緯に付いて、先ず説明すれば、「養老4年奏上・日本紀()」(逸書)文書が、其の翌年(A,D721)、既に、書き換えられたので在った。然るに、此の時、【神代・歴年数値文書】の部分が、抹殺されたので在る。然し、其の【神代・歴年数値文書】と同等の文書内容、及び、本文に当る【日本紀()】(逸書)文書と同等の文書、共々、伊勢神宮関連氏族の、或人達が保存していたので在った。従って、其の文書伝承は、『現存・日本書記』とは、又、別ルートで伝承され、其の、別ルートを辿ったと考えられる文書の断片が、後年、【名文抄】(続群書類従書)の中に収められました。従って、焚書的、其の、抹殺を逃れ、現存しているので在りました。尚、本家本元で在る、伊勢の神官達は、其の
【神代・歴年数値文書】と、其の本文で在る処の…「伊勢神宮建立年に関する起元的文書断片」…に関する内容を、『神道五部書・倭姫命世記』(国史大系書書)として纏められていて、現在は、公な文書として公刊されています。

…然して、最初の、其の標題で在る処の【日本紀(ギ)】(逸書)が、何故、『日本書記』(現存・写本伝承)と成す標題に変わったたのか?。

【神代・歴年数値文書】が抹殺されたのは、『日本紀()』が奏上(養老4年)された、其の翌年、早速、開催された「第1回目」の、【日本紀・講例】(養老5年A,D721)の時で在ったと考えられます。従って、以後、当時の人達は【日本紀】(逸書)を研究するも、先史以前(奈良時代以前)史、及び、神代時代に関する事等の内容が解らなく成っていて、其の、解らない事を知りたいと言う処の欲求が高まっていた事が、『釈日本紀』をみれば解ります。つまり、第1回目の【日本紀・講例】からは、約90年程の年数を経た、弘仁3年(嵯峨4年)に開始された【日本紀・講例】A,D812)、そして、其れ以後に開催された時の内容等を考察すれば、「謎的、神代時代への質問、及び、其の答弁内容」として、其の答弁等の文面でに溢れております。そして、更に、其の講例が重なる度に在っては、何時しか、元初の【日本紀】(逸書)を、写本する折、【書】の文字が付され、【日本紀】と成ったと考えられます。然して、古代期からの有力氏族の或人達に因る、写本伝承(佐々木旧蔵本・田中本・他多数)が、後年に至るも保存され、其れらの文書が、明治時代に至り集められて、現在に言う『日本書紀』として、刊行されるに至ったので在りました。 

…然して、現在に言う『日本書紀』とは、明治時代に於いて、つまり、【国史大系】(経済雑誌社発行)として、「治30年・1897年~明治34年・1901年迄」に、「17冊の本」(監修&校訂者…黒坂勝美)が、刊行され、其の中の一冊が、即ち、『№1・日本書記』(現存)で在ります。 

…さて、此のブログの標題に言うヤシロ様式サコクシロとは、何かと言えば、つまり、【ヤシロ】()の定義は、【チギ】千木)が設置されている事に行き着きます。然るに、「ジンジャ」と言う呼称(名称)は、漢字読みで在って、元来、漢字が導入されていない時代に造語された言語で在る処の【カミノヤシロ】(訓読と言うのが、正しい名称で在ります。尚、漢字読みの「じんぐう」(神宮)然り、カミノヤシロカミヤシロ)に対し、後年に於ける当て字で在って、其の呼称(名称)も、「後年に於ける漢字を以ての当字(神宮)で在り、本質的には間違っています。然して、現在は、【イセミヤ】で在るにも関わらず、「イセジングウ」(伊勢神宮)と、訓音混合を以て呼ばれています。

…然して、九州、博多の【太宰府天満宮】は、其の名が記す通り、つまり、【ヤシロ】()の文字が付されていません。従って、【千木】も設置されていないので在ります。だから、正式的に言えば、【太宰府・天満宮】は、「神社様式」では在りません。

ヤシロの語元は、シロChilh創世記49・10)に言う…「ついにはシロがchilhが来て」(IBAShILH)に起因し、倭語としての造語の中に組み込まれました。尚、【カミ…上】漢字神の字源は関係在りません)、つまり、Yahweh】(ヤハウェの頭文字に当るの文字言語とシロ
Chilh)の組み合わせを以て、ヤシロと言う言語が造語されたので在ります。然るに、此のヤシロの、倭語に因る語元の説明に関する文書は、『秀真伝』(第17章)に在ります。

…此の続きは後日と致します…宜しく…。