【松浦・サヨヒメ】の「松浦の語元」に付いて… | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

…今、平成27年(2015/03月31日・火曜)は、丁度、【MR浦ノ崎駅・桜まつり】の開催中です。尚、今週の《土曜曜・4月4日》は、赤い月月食)の日に当たり、「夜桜見物」も見物です。尚、次に此の赤い月】が見れるのは「17年後」との事です。

…佐賀県伊万里市の【松浦線(MR)・浦ノ崎駅】停車場周辺の桜の木は、其の植樹から70年程の経過を経て、今は大きく成長しています。


…現在(平成27年)、桜の季節頃、電車が此の【浦ノ崎駅】に停車すると、其の停車位置は【桜のトンネル】の中にあるような雰囲気に包まれます。

…此の伊万里市(佐賀県)の地域は、其の昔(廃藩置県)、一度は【伊万里県】と成った事も在る程の賑わいぶりをみせていました。そして、子供達も多く、学校の教室は「10組~11組」程にも至った事も在りました。然し、時代の流れと共に、此の山代町地域に在った炭坑は、次々と閉山(向山炭坑久原炭坑等他)されて行き、現在は、其の子供の人数も段々と減少していきました。

…かつては、「山代西小学校」、「山代中学校」に在籍されていた遊び仲間達の、其の家族の人達は、次第に引越されて行かれました。それで、其の当時の賑わい時代頃の事を思えば、実に、寂しい限りであります。

…だが、一度は、「山代町(佐賀県伊万里市)を故郷とされていた人達」が、若し「望郷の念に思いを馳せる」事が在るとすれば、是非、【浦ノ崎駅・桜祭り】の季節の時期を利用し、一度、訪れられてはいかがでしょうか。其の折の宿泊先と致しましては、一般の料金から考えれば格安的な【ビジネスホテル】も伊万市内にありますので…。

…以下↓↓【追記】…「松浦の語元」に付いて…

…『肥前・風土記』に従えば、「鮎釣り」(神功皇后)等と、記されているが、其れは「鮎釣り」に託した占い事」に起因し、ワイタメサダム」(ミコトノリに対する下準備的行動で在ったと推測出来る。然して、此れら神功皇后の時として記されているが、其の内容は、【第10代・崇神天皇】()の「任那・ツヌガアラヒト」の条の内容とを搦めての話で在ったと考えられます。

…尚、『秀真伝』の、其の条に関する項とを交合的に考えれば、【マツノオミ】(松臣に関する内容が纏められての創作話の一端が、伝承化され、『肥前・風土記』編輯の時に取り込まれたのではないかと考えられます。つまり、【編輯語・メヅラ→マツラ→松浦】に至った。然して、其の編輯の時の「マツラ」に至る迄に於いては【マツノオミ】に関する話が残っていたのではないか?と言う事で在ります。

…然るに、此の謎を解く【】と私が考えるのは、『三国志』(魏書)に記載されている処の【松臣】で在ります。然るに、卑弥呼が魏国へ使いを出した時、対応した人物の中に、此の【松臣】の名称が記述されています。然るに、其の【松臣】の祖先は、『秀真伝』の【ミマキイリヒコ・条】(崇神天皇)に在る、【マツノオミ】と考えれば、辻褄が合う事と成ります。尚、【神功皇后】出兵に関し、其の【マツオミ】の名称の語元で在る処の【松】松浦党)に関する伝承が、我が「東松浦郡・山代町史」(佐賀県伊万里市・山代町史)に残されています。

…此れらの話を総括し考えれば、其の、【マツウラ・サヨヒメ】(塚は浦ノ崎駅の西方三百m程の処に存在病院の中庭に言う【マツウラ→松浦】、即ち、「松浦の語元」は、此処に言う【マツノオミ】秀真伝・任那章)で在ると私は考えます。

…此の【松浦の語元】に関する詳細的な事は、後日、又、別の機会に書く事とと致します。先ずは、浦ノ崎駅桜まつり開催の案内までと致します。