…【日本国】…【ヒノモト】の語元とは…
2014年 08月08日 23:43(全員に公開)…此の記事は「ひびのコミュニティ」(佐賀新聞の情報サイト)の中の【日記】として投稿たものです。
…「日の始めの国…読んで字の如く日本国と言う」…【日之本】(倭語・ヒノモト)の語元は、古代(紀元前2世紀中頃以降)に於けるロ-マ(現在のイタリア)から見て東の位置を言う言語に起因する。
…極東の島(現在の日本列島)に在って、海面上(水平線上)から立ちの昇る「最初の朝日を拝む事が出来るクニ(国)」(常陸/茨城県)を以て【日之本国】(エノク書に関連する)と言う。従って、【縄文期】に於ける此処(現在の日本列島)の先住民(縄文人)の人達に在っては、「紀元前2世紀中頃に於ける西洋思想言語」に言う【アシア=東の地】と言う語意に付いては全く知るよしは在りませんでした。つまり地中海西側(古代ローマ)方面から見た其の東の地域に対しローマの人達は【アス】(東)と呼んだ。其の呼称(名称)を以て、先史に於ける我が国(A,D,1世紀~3世紀頃)の【日之本国・創建史】(ホツマツタヱ文書)作成にに在って【アスカ】(飛鳥・明日香)と命名されたので在りました。
…然るに、我が日本語に言う【アシタ】とは、つまり現在は「明け方・朝」の事を意味し、明け方から1日(現在的時刻では午前0時とされている)が始まる。然し其の昔の我が国は「夕方・日の入り」(古代ユダヤ民族思想)が1日の始まりで在った。つまり、「日の入りの意味」は、「新しい1日の始まり」の意で在った。其の名残が【イリオモテジマ】(西表島/沖縄西方の島)の名称です。
…現在は「午前0時を以て【明日】と言い…《明日・今日・昨日》…に分けられている。
…「♪…あした浜辺をさまよえば、昔のことぞ忍ばるる…」(浜辺の歌…作詞 林古渓)に言う、其の歌詞の中の「あした」とは、「明日」の意では無く「朝」(夜明け)の意で在ります…
…然るに【ヒノモト】とは、古代(紀元前)地中海の西側から見た方向(アス ← 東の意味)を意味表す言語で在るが、我が国の言語で言う処の【ヒガシ】(東)で在る。然して、『秀真伝』( ホツマツタヱ)文書の【アスカ】(明日香・飛鳥)とは、東北地域(常陸/東日本地域)から出発した【クシタマホノアカリ・諱テルヒコ】(オシホミミの嫡男・後に言うアスカ宮の君)は、途中、船に乗り換え【ナニハ】(浪速)を経て先ず或処に宮を定め国見をした。其処で見た或処に対し、「カラストブ・クマノ」と思い込み、「其の明日」(秀真伝・第20章)に宮を移した。其の最初の国見の地域に対し【明日香】(現在に言う近明日香・逢坂…履中紀に記載在り)と言う。そして、新に移し替えられた場所が【飛鳥】(飛鳥とはカラスの事)で在る。
…従って、此処に言う「其の明日」の意味は、翌朝(日の出)の意で在って【ヒガシ ← 東】の方向を意味する用語で在り、【明日香】と【飛鳥】とは同義語で在った。
…下に【追記】(平成26年・2014/08/09/土曜)↓ ↓ ↓
…《【ヒト】の語元の本当の語意を知る事の重要性に付いて》…
…我が国に言う【ヒト】の語意は、漢字表記に言う「人」、及び「人間」的語意とは、全く違います。つまり、我が国固有の…《カミナ→ 神字・言語》…で在る処の、【倭語】に対し、後年に於いて、漢字を以て、当て字した処に、其れらの齟齬(ソゴ←食い違い)が生じたので在りました。然るに、大体的に捉えれば、それでも差し支えがない処も在りますが、此処に言う【ヒトの語元】に限っては、別問題で在ります。其の事に付いて、簡略的に説明するとすれば、何故、我が国の創建史(秀真伝&三笠文)を創作するに当たり、先ず、【日本国・開闢神話】及び、其れに続く神話が設定されねば成らなかったのか…と言う処に、此の答えの終着点を見出す事ができます。
…然るに、【ホツマ・カミヨ物語】とは…《ヒト は カミ …カミ は ヒト 》…とする思想書でも在る。然し、後年に於いて、此の文書が漢字に書き換えられ、更に【日本紀】(ニホンギ/逸書)として編纂された事に因り、其の肝心なる…《ヒト→ カミ → ヒト 思想》…に関する部分の殆どが見事と言って良い程に刪定(削除)されました。
…倭語に言う【ヒトの語意】は、動物的、例えば、自然界の【猿】等とは違う意味を悟らせる意を以て成る教書として『秀真伝』文書(カミヨ物語の部分)は書かれています。然して、漢字に因る『逸書・日本紀』(後年、更に刪定されて編纂されたのが『偽書・日本書紀』)が編纂されたが、其の原典(秀真伝&三笠文)を保存して置くのが常識的筋で在る。然し、弓削の道鏡は、カミヨ文書の多くを焚書にして抹殺を図った。然し、三輪系の人物(赤坂彦・神社)は此れに抵抗し、必死に守った事に因り、其の『秀真伝』文章は現在迄に伝えられる事と成りました。
…つまり、其の原典的文書、即ち『秀真伝』文書が秘密裏に写本で以て伝承され、現在に至っては、公の場に於いて読む事が出来る事に因り、今迄隠されて来た【日本創建史・思想】、及び、倭字を以ての造語に因る【ヒトの語元&語意】をも知る意に至っては、尚、【21世紀】に於ける世界の人達の問い、即ち…【日本人とは何ぞや】…と言う問いに対しても「ハッキリと其の【日本人の定義】に対する説明を行う事」が出来るので在ります…
…以上の記事は約2年前に投稿したので在りますが、最後の【追記】文を書いた時、投稿するのを忘れていました。今日(平成28年12月20日/火曜)、偶然、其の投稿忘れ記事を発見し、少し修正を加えて再投稿する事に致します。
…此の続きは後日と致します…
…(ランキング)↓ ↓ ↓ ← (クリック)…宜しく…
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…極東の島(現在の日本列島)に在って、海面上(水平線上)から立ちの昇る「最初の朝日を拝む事が出来るクニ(国)」(常陸/茨城県)を以て【日之本国】(エノク書に関連する)と言う。従って、【縄文期】に於ける此処(現在の日本列島)の先住民(縄文人)の人達に在っては、「紀元前2世紀中頃に於ける西洋思想言語」に言う【アシア=東の地】と言う語意に付いては全く知るよしは在りませんでした。つまり地中海西側(古代ローマ)方面から見た其の東の地域に対しローマの人達は【アス】(東)と呼んだ。其の呼称(名称)を以て、先史に於ける我が国(A,D,1世紀~3世紀頃)の【日之本国・創建史】(ホツマツタヱ文書)作成にに在って【アスカ】(飛鳥・明日香)と命名されたので在りました。
…然るに、我が日本語に言う【アシタ】とは、つまり現在は「明け方・朝」の事を意味し、明け方から1日(現在的時刻では午前0時とされている)が始まる。然し其の昔の我が国は「夕方・日の入り」(古代ユダヤ民族思想)が1日の始まりで在った。つまり、「日の入りの意味」は、「新しい1日の始まり」の意で在った。其の名残が【イリオモテジマ】(西表島/沖縄西方の島)の名称です。
…現在は「午前0時を以て【明日】と言い…《明日・今日・昨日》…に分けられている。
…「♪…あした浜辺をさまよえば、昔のことぞ忍ばるる…」(浜辺の歌…作詞 林古渓)に言う、其の歌詞の中の「あした」とは、「明日」の意では無く「朝」(夜明け)の意で在ります…
…然るに【ヒノモト】とは、古代(紀元前)地中海の西側から見た方向(アス ← 東の意味)を意味表す言語で在るが、我が国の言語で言う処の【ヒガシ】(東)で在る。然して、『秀真伝』( ホツマツタヱ)文書の【アスカ】(明日香・飛鳥)とは、東北地域(常陸/東日本地域)から出発した【クシタマホノアカリ・諱テルヒコ】(オシホミミの嫡男・後に言うアスカ宮の君)は、途中、船に乗り換え【ナニハ】(浪速)を経て先ず或処に宮を定め国見をした。其処で見た或処に対し、「カラストブ・クマノ」と思い込み、「其の明日」(秀真伝・第20章)に宮を移した。其の最初の国見の地域に対し【明日香】(現在に言う近明日香・逢坂…履中紀に記載在り)と言う。そして、新に移し替えられた場所が【飛鳥】(飛鳥とはカラスの事)で在る。
…従って、此処に言う「其の明日」の意味は、翌朝(日の出)の意で在って【ヒガシ ← 東】の方向を意味する用語で在り、【明日香】と【飛鳥】とは同義語で在った。
…下に【追記】(平成26年・2014/08/09/土曜)↓ ↓ ↓
…《【ヒト】の語元の本当の語意を知る事の重要性に付いて》…
…我が国に言う【ヒト】の語意は、漢字表記に言う「人」、及び「人間」的語意とは、全く違います。つまり、我が国固有の…《カミナ→ 神字・言語》…で在る処の、【倭語】に対し、後年に於いて、漢字を以て、当て字した処に、其れらの齟齬(ソゴ←食い違い)が生じたので在りました。然るに、大体的に捉えれば、それでも差し支えがない処も在りますが、此処に言う【ヒトの語元】に限っては、別問題で在ります。其の事に付いて、簡略的に説明するとすれば、何故、我が国の創建史(秀真伝&三笠文)を創作するに当たり、先ず、【日本国・開闢神話】及び、其れに続く神話が設定されねば成らなかったのか…と言う処に、此の答えの終着点を見出す事ができます。
…然るに、【ホツマ・カミヨ物語】とは…《ヒト は カミ …カミ は ヒト 》…とする思想書でも在る。然し、後年に於いて、此の文書が漢字に書き換えられ、更に【日本紀】(ニホンギ/逸書)として編纂された事に因り、其の肝心なる…《ヒト→ カミ → ヒト 思想》…に関する部分の殆どが見事と言って良い程に刪定(削除)されました。
…倭語に言う【ヒトの語意】は、動物的、例えば、自然界の【猿】等とは違う意味を悟らせる意を以て成る教書として『秀真伝』文書(カミヨ物語の部分)は書かれています。然して、漢字に因る『逸書・日本紀』(後年、更に刪定されて編纂されたのが『偽書・日本書紀』)が編纂されたが、其の原典(秀真伝&三笠文)を保存して置くのが常識的筋で在る。然し、弓削の道鏡は、カミヨ文書の多くを焚書にして抹殺を図った。然し、三輪系の人物(赤坂彦・神社)は此れに抵抗し、必死に守った事に因り、其の『秀真伝』文章は現在迄に伝えられる事と成りました。
…つまり、其の原典的文書、即ち『秀真伝』文書が秘密裏に写本で以て伝承され、現在に至っては、公の場に於いて読む事が出来る事に因り、今迄隠されて来た【日本創建史・思想】、及び、倭字を以ての造語に因る【ヒトの語元&語意】をも知る意に至っては、尚、【21世紀】に於ける世界の人達の問い、即ち…【日本人とは何ぞや】…と言う問いに対しても「ハッキリと其の【日本人の定義】に対する説明を行う事」が出来るので在ります…
…以上の記事は約2年前に投稿したので在りますが、最後の【追記】文を書いた時、投稿するのを忘れていました。今日(平成28年12月20日/火曜)、偶然、其の投稿忘れ記事を発見し、少し修正を加えて再投稿する事に致します。
…此の続きは後日と致します…
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