【ヒノモト・ヤマト】(ホツマ・日本国)の語元とは | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

…【日本国】(ヤマト)…【ヒノモト】の語元とは…

2014年 08月08日 23:43(全員に公開)…此の記事は「ひびのコミュニティ」(佐賀新聞の情報サイト)の中の【日記】として投稿(此処では少し修正し加筆)た文書です。

…『日本人の国だから…読んで字の如く日本国】で在る』…【日の本】(倭語・ヒノモト)の語元は古代(紀元前)に於けるヨーロッパ、即ち、地中海方面から見た東の位置に在って、且つ、極東的位置に在って、海面上(水平線上)から立ちの昇る「最初の朝日を拝む事が出来るクニ()」を以て『日本国』と言う。従って、「縄文期」に於ける此処(現在の日本列島)の先住民(縄文人)等の人達は、紀元前に於ける西洋思想に言う「アシア」(東の地)と言う語意に付いては、全く、知らなかったので在った。然るに、地中海の西側(古代ギリシア)の方面から見た、其の、東に対し、ギリシアの人達は…アス)…と呼んだので在る。然るに、因みに、【アスカ】(飛鳥明日香)の語元が此処に在りました。然るに、我が日本語に言う「アシタ」とは、つまり、現在は、「明け方・朝」の事を意味し、「明け方」から1日(現在的時刻では午前0時とされている)の始まりとされていますが、其の昔、我が国は、「夕方・日の入り」(古代ユダヤ民族思想)から1日は始まったとされています。つまり、「日が入る」と言う意味は、「新しい1日の始まり」(沖縄の西方・イリオモテ島)の事を意味表す言語で在りました。然し、現在は、時刻に言う、「午前0時を以て【明日】と言って、其の期日は…《明日・今日・昨日》…等とに分けられている次第です。

…「
…あした浜辺をさまよえば、昔のことぞ忍ばるる…」浜辺の歌…作詞 林古渓)に言う、其の歌詞の中の「あした」とは、「明日」の意では無く、「」(夜明け)の意、で在る…

…従って、【
ヒノモト】とは、古代(紀元前)地中海の西側から見た方向(アス東の意味)を意味表す言語で在るが、我が国の言語で言う処の【ヒガシ】(東)で在る。然して、『秀真伝』(ホツマツタヱ)文書の【アスカ】(明日香・飛鳥)とは、東北地域(常陸)から出発した、【クシタマホノアカリ・諱テルヒコ】(オシホミミの嫡男・後に言うアスカ宮の君)は、船に乗り換え、【ナニハ】(浪速)を経て、先ず、或処に宮を定め、「国見」をした。其処で見た或処に対し「カラストブクマノ」と思い、「其の明日」(秀真伝第20章)を以て宮を其処へ移した事に因り、改めて其の場所に対し、【明日香】(現在に言う近明日香・逢坂…履中紀に記載在り)と命名されたので在りました。つまり、アスカ】(明日の語元とは、そして、新に移し替えられた場所が【飛鳥】(飛鳥とはカラスに起因する言語)で在る。従って、此処に言う【其の明日】(ソノアスカ)の語元とは、『秀真伝』文書に記載されている文書に基付いて命名されていたと言う事で在ります。尚、翌朝に言う【日の出】の語意とは、「ニシヅム」(煮沈む→ 西・沈む)の語意に従って、【ヒノカシラ → 日ノ頭】→【】(ヒガシ)の語元(造語)と成った。然して要約すれば、【明日香】と【飛鳥】は、同義語で在ると言う事で在ります。

…以下↓ ↓ ↓【追記】(平成27年・2015/03/026・木曜)…
…日本(ヤマト)最古の歴史書、つまり、【元始日本建国史書】とは、『秀真伝』文書で在ります。

…【建国史書】と定義するならば、其の建国を以て、始めて言える言葉で在ると共に、其の建国思想、及び、其の思想を追求して来た経緯等迄もが範疇で在ります。従って、其の定義を古代期に於ける【日本建国史書】に当て嵌め、尚、我が国を取り巻く島々の範疇に取り込むとすれば、倭語(元始・ヤマトコトバ)が及んでいたと考えられる島々に迄もが、其の、範疇と成ります。

…然るに、「ヒガシ」()と、「ニシ」(西)の語元が、【日本
建国史書】で在る処の『秀真伝』文書に因って解れば、自ずと、我が国に於ける最西地域の沖縄県に位置する、【西表島】(イリオモテジマ)、及び、【与那国島】(ヨナグニジマ)の語元も解る事と成ります。従って、此の沖縄県の群島に於いて、其の最西に位置する【与那国島】(ヨナグニジマ)より東に位置する、各々の其の島々(尖閣諸島)等も、古来から、我が日本国(ヤマトクニ)の領地、及び、領域で在った。と、言う事に成る。然るに、其の当時(紀元前後・1世紀頃)に於ける漢民族には、海軍は存在せず、従って、此れら、現在に言う沖縄に於ける、其の海域は、古来から我が日本国(ヤマトクニ)の制海権の範疇でも在った。と、言う事で在ります。
…【日本】と言う国号(国称)は、【大東亜戦争】(第二次世界大戦)後も維持していて、尚、【神武天皇・即位1年目】から繋げられている処の、其の伝統ある【皇歴】は失われる事は無く、尚も、現在に至って存続致しております。然して、又、戦中に於いて、我が国と三国同盟を結んでいた「ドイツ、及び、イタリア国」も、敗戦に至ったにも関わらず、尚、其の国号と、其の国としての歴史は存続しています。

…然し、アジアに於ける、中華人民共和国(共産主義・中国
と言う国称は、戦後(大東亜戦争後)に成って、新たな思想(共産主義)を以て成る独立国として登場してきた国の国称で在る。従って、其の過去、つまり、【ユーラシア大陸】に於ける、国家存亡史の中に登場した歴史の蹟(支那China)としての、其の【歴史的物語】に登場する国でしかあり得ません。つまり、例えば、「秦・漢」等、及び、「蒙古・清国」以前の、其れらの国々は、其の時代に存在していた国と言うだけで在り、其の後に誕生した国の歴史としては、繋げられておりません。然る後、其処から新に誕生した国(蒙古清国)に至っても、過去の国の歴史とは全く違った自国の歴史を踏んでいたので在りました。

…従って、「蒙古~清国」に至っても、現在に於いては、滅亡した国として扱われています。だからこそ、又、其の、戦後(大東亜戦争後)努立の、「南北・朝鮮国」に在っては、「清国からの支配」が、断ち切られ、新たな独立国として承認されたので在りました。

…然るに、戦後(大東亜戦争後)の独立国で在る、其の、中国(中華人民共和国)は、過去の歴史を自国の歴史と言う、其の事自体、全くの【捏造】で在る事は、「火を見るよりも明らか」で在ります。従って、戦後(大東亜戦争後)独立の中国(通称China)には、其の、過去と言う歴史的な国歴は、全く、存在しないので在ります事、然りで在る。

…此処のブログの標題に言う、【ヒノモト】(日之本)の語元は、古代、地中海沿岸文化圏の文明国が用いた用語的、其の、語意を受け、造語された言語(元始ヤマト言葉)で在ります。然るに、【ヒノモト】、又は、【ヒト】の語元等も、【カバラ的秘儀数値】に基づく造語で在る。つまり、【】とは、「倭語・数値言語」の最初の数値として設定された処に、此の語元が在る。然して、
カバラ的秘儀数値】に関する詳細的な説明は、又、別ブログ(Ameba・ブログ)に、随時、記載していますので、此処では、其の、説明は省略させて頂きますが、此の、現在に言う我が島国が、「極東的・位置に存在する」等と、此の、島に移動して来た人達が、認識するに至るには、それ相当の年月が費やされたと考えられます。其の事に対する記述の部分が、『現存・日本書記』に記載されている処の、「イザナギ尊・イザナミ尊」の、「クニウミ神話」であったのでした。そして、其の、【日本国・開闢神話】に言う【原初神】、即ち、【國常立尊】(含牙フクメリキザシ)が最初に開発した地域とは、【ムツ國】(六国)、つまり、後に言う、「福島・宮城・岩手・青森」等の地域で在りました。そして、其の地域は、【ホツマ】(秀真)と呼ばれた地域で在りました。

以下 ↓ ↓ ↓ 【追記】(平成27年・2015/03/027・金曜)…
…【飛鳥】の語元は、「アスass」が語元で在る。然して、何故、「飛鳥」と漢字表記されたのかと言えば、【国名・二文字制度】(元明女帝・和銅六年5月・713年)に起因する。然るに、「畿内・七道諸国」の、郡(コオリ)、郷(サト)名に好字令が在り、其の年以降、『逸書・日本紀』(ニホンギ)、及び、『風土記』の編纂(国名二文字出雲国常陸国)に於いて、其れ迄の文書等も、其の例にならって書き換えられたと考えられます。

…然るに、【サヨヒメ歌】(山上憶良)を、
『万葉集』(完成は757年以後)を以て考察すれば、つまり…

…「 遠つ人、松浦佐用姫、夫恋に、領巾振りしより、負へる山の名」…

等と、要約的漢字当字方式の、変換、表記に至っては、元来的、【定型詩・五七調】の体を成さず、従って、此の表記に在っては、原文を知った人でなければ理解出来ない内容と成っている。然るに、原文的、定型詩を以てすれば、つまり…
 得保都必等麻都良佐用比米都麻胡非尓比例布利之用利於返流夜麻能奈」(『万葉集』第871)…

等と詠まれていて、【郡】の呼称(名称)に当る「麻都良」(3字語)の御名は、「松浦」(4字語)等と、「4仮名・二漢字」に切り替えられています。然して、『風土記』に因ると、「
弟日姫子」と記載されている。では、何故?、「弟日姫子」が、山上憶良の歌では、「佐用姫」に成っているのか?…。つまり、此の、「サヨヒメ・悲恋物語」の実質的歴史を考察すれば、当時、其の『風土記』の収集が命じられた年からは、約200年を遡る時代(宣化2年西暦537年)の話で在った。其のような事を思惟すれば、腑に落ちない疑問が涌き上がって来る。其れは何かと言えば、【伊万里神社・由来書】(佐賀県伊万里市)に因れば、『万葉集』編集に携わったとされる【橘奈良麻呂】(タチバナノナラマロ)の子孫とされる【橘田嶋麻呂】(タチバナノタジママロ)が、「伊万里へ和歌の題材を求めてやって来た」(770年)と記されている事に在ります。では、「和歌の題材」を思い立った、其の、動機とは、何だったのか?…と考えれば、此処に、史実的、「サヨヒメ」の語元が秘められていると私は考える次第で在ります。

…然るに、原点的「弟日姫子」が、「サヨヒメ」と呼ばれる由縁は、山上憶良が、其の歌を詠む時よりも、遥か、過去へ遡る事、200年程も昔に於いて、既に出来上がっていた呼称(名称・サヨヒメ)だったと考えれば、現在に言う【立岩 字浦ノ崎】(伊万里市山代町立岩)に、【香椎川】と称す川が存在在する事を以て納得出来るので在る。つまり、【橘嶋田麻呂】が、「伊万里へ和歌の題材を求めて伊万里へ行った」と言う事は、「サヨヒメ・塚」(佐代姫・塚)の伝承を知っていたからで在る、と、推測すれば、此れら、一連の謎が解明出来るのであります。

…此の文書は下記 ↓ ↓ ↓ のURL(ドラッグ&クリックして検索
http://ameblo.jp/erusaremu464/entry-12029994161.html
 カミGodの栄光は東から来る
…このブログは、上記URL文書の続きとして書いています…

下記に【追記】(2017年=平成29年3月20日/月曜)…その後の研究経過
…上記ブログを書いて今日で約3年を経過しました。この間の研究で、【ヤマト】(日ノ本)と【ホツマ】(秀真)の語元(語源の意ではありません)を、歴史的年代設定を以て改名するに至りました。

…我が日本の国称【日ノ本】と【秀真】の語元は、【ウマシアシカヒヒコチ】(含牙)。又、その別称【國常立尊】の語元(語源の意ではありません)に起因する。そして、『後漢書』に記述する【金印】に彫られている「漢・委奴・国王」の中の【委奴】の語意に関連していた。つまり、後漢人は我が国の国称に対し【委】)と書き、何故】と呼んだのかと言えば、それは我が国の建国思想をいいあらわす言語であった。その建国の手続きを【ヤマト】(日ノ本/秀真)の王から委託されたアガタ(県)の呼称が、秀真文字言語に言う【ぬ】アガタ名の呼称)と言う文字の呼称だった事に由来する。

…【金印】(光武帝/中元2年=A,D,57年)の【奴】(ヌ)の語意は、秀真文字(基本48字)中の【ぬ】の字意にあった。又、その語意は、『秀真伝』文書に記す【大物主・クシミカタマ】(鰐彦)の御名を表す言語でもある。この事は、何故、「A,D,57年」(
光武帝/中元2年)の年に「日本(ヤマト)の使者」が後漢に行ったのかと言う事と、【秀真文字・配列方式】を調べれば答えが出る。その答えは、【死海文書】(1947年発見)の巻物中にある…《メルキゼデクテクスト・11QMelch》…文面(預言)の成就(finish)を物語る。

つまり、【ホツマツタヱ】(秀真伝)&【ミカサフミ】(三笠文)文書に記す【日ノ本・カミ代物語】の時代背景は、東アジア史の「A,D,1世紀~5世紀頃」の出来事を【カミ代の物語】として創作していたのである。その証拠の1つが、【與止日女・神社】(ヨドヒメ・ジンジャ/
佐賀県伊万里市大川町大川野)の由緒書であり、その祭神(山幸彦=ホホデミ尊)である。この物語は 秀真25章(釣り鉤を得るアヤ)に記す潮満玉(しおみつたま)と潮干玉(しおひるたま)の効能書きの内容事である。

…つまり、【死海文書】文書との関係は、『肥前風土記』の【豊姫】に対し「ユタヒメ」と訓する処に関連する。それは、【古代・ユダヤ民族】を意味表す内容(ダビデ紋に関連)が『秀真伝』文書の記されているからである。従って、【ヨトヒメ】と命名されたのであった。歴史的史実に照らし合わせるとすれば、【日ノ本・カミ代物語】の【ヨトヒメ】(ユタヒメ)の名が【世田姫】と同じとして神功皇后の「三韓征伐」(即位前年=A,D,200年/開土王碑文面時代に関連)に於いては、
潮満玉(しおみつたま)の効能書等の内容を用いて助けたとされている。 
…尚、【アカメ】(赤女)の事(海幸彦&山幸彦物語)に関しては、景行天皇18年条に、「昔アメミコ(幼名=山幸彦彦)が【杵島・與止宮】(佐賀県杵島郡)に来た意の事(赤女物語に関連)を記している。
……此の続きは後日と致します…

…(ランキング↓ ↓ ↓ ←  (ドラッグ&クリック検索)…宜しく…
   
         にほんブログ村